HOME > くびわをはずしたパピ
 

 
佐藤彰主任牧師夫人が、愛犬の目線で東日本大震災の避難の日々を綴りました。
大好きだった家、桜や紅葉が美しかった公園、季節が運ぶいろいろないい匂い、家族の笑い声、お庭でのボール遊び…幸せな日常を失ったのは、人間だけではありませんでした。年老いたパピの小さな体にも、避難後の大きな変化は辛いものだったでしょう。
このページでは書籍『くびわをはずしたパピ』の出版のきっかけになった彰師の手記と、ちえ子夫人による読み聞かせをご紹介します。

 
『くびわをはずしたパピ』
出版:自由国民社(2014年3月)
ISBN-10: 4426117690
ISBN-13: 978-4426117696
 

 
(抜粋)…話は変わりますが、今回は我が家の愛犬も、ともに被災しました。大きな艱難を一緒にに潜り抜けた、いわば立派な被災犬です。「よく頑張ったね」と、声をかけてやることにしましょう。(その割には、余り大事にしてなくて、ごめん)14歳になる、白内障気味の老犬で、2.7キロの、小型犬(パピヨン)です。
 思えば彼も、いろんなところを通りました。これまで我が家の子供たちの成長から進学まで、結婚、そして恐るべき孫の襲来まで(?)を見届けてきました。これからはやっと、室内犬のごほうびとして、他の多くの犬たちが迎える、飼い主との静かなる余生が待っていると思っていた矢先の、震災です。おそらく、訳がわからなかったことでしょう。出先での被災した彼は、それに続く飼い主とのいきなりのノンストップの逃避行につきあうはめになりました。この2カ月間の走行距離は、半端ではありません。一体彼は、この一連の出来事をどのように見ていたのでしょう。
彼もかつて、静岡からもらわれてきて東北の地で育ったので、さすがに忍耐深く、何度聞いても、決まって「ワン」としか答えません。多くのことを呑み込んだうえでの「ワン」ならば、よほど私よりできていますが、もしかして何も考えていないのではないだろうかと、少々の疑念も抱いています。
とはいえ、「よく旅が続くなあ」とか、「どうしていつまでもボクの家に帰らないんだろう」と、考えているかもしれません。
いずれにしても、何が起こったのかも分からないまま、その日、その時を精いっぱい生きてきたのは事実です。それでいい。何もわからなくとも、分かっていても、とにかくがんばって生きた。きっと、彼は彼なりの(犬なりの?)、相当のストレスを抱えながら、生きてきたはずです。よく耐えて、何がどうしてこうなったのかもわからない道のりを、わかってもわからなくても、生きてきた点では、私たちと同じです。
父なる神も果たして、私たちを振り返ったとき、「困難の中、よくがんばった」と、声をかけてくださるのでしょうか。

5月16日(月)東北新幹線内にて
 佐藤彰

 
 
 
 

 
 我が家の愛犬も、寂しく被災の日々にじっと耐えています。このところ、私たち夫婦が余りに多忙で、留守にすることが多いため、急きょ息子のアパートに預けることになりましたその後そこからまた、時折やむなくあちこちのお宅に、お世話してくださるいろんな方の所に、預けられているようです。私たちの手を完全に離れ、犬にはすまないとも、皆さんには有難いとも思っています。
 ところで、我が家のその愛犬、13年前佐藤家にもらわれて来て今は年老いて、目は白内障で耳もすっかり遠くなってしまいました。晩年になってからのこの被災は、彼の目にどの様に映っているのでしょう。震災この方、あちらこちら連れ回され、飼い主とは訳もわからぬ中、別れ別れとになり、それこそ大震災の大波小波に翻弄されてきました。先日は、そんな我が家の犬が急に不憫に思われ、やっとのことでスケジュールの合間を縫って、夜遅く3、40分間、逢いに行きました。しかし、「来たよ」とドアを開けても何の反応もなく、しばらく抱く寄せた後も、すぐ息子の後追いをし始め、何だかよそよそしく遠巻きに元飼い主の私を(?)じっと見つめるのでした。彼も確かに、深く傷ついているようでした。初めて経験する微妙なその距離感は、何とも言えず物悲しく、彼が初めて見せたそんな態度は、まるで自分がどれ程辛いかを、切々と訴えているようでした。
 「ごめんね、パピ(愛犬の名で犬種はパピヨン)。震災だから、ゆるして」と、謝ってみても、「そんな気休め、かえって戸惑う」と言わんばかりに、再び私を玄関で見送る目線は、「やっぱりまた、ボクのこと置いていくんだ。これ以上傷つきたくないから、心は開かない」と、物語っているようでした。
 震災は、あらゆる絆を非情にも引き裂く、むごいものだと改めて思い知らされました。「ごめんね、パピ。だけど、待ってて。パピは決して見捨てられたんじゃないから。震災が、こうしたんだ。だから、お父さんのことを、もうそんな目で見ないで。疑わないで。絶対迎えに来る。だから、その時まで、元気でいてね。今度逢ったときは、思い切り、急いで走り寄って、抱きついてきて。今までできなかった分まで、罪滅ぼしに、いっぱい撫でて、抱きしめてあげる。だから、甘えてね。震災が終わったら、またいっしょに住もう。その時まで、辛抱して。決して忘れていない、パピのお父さんより。愛しのパピへ」 
 
こんな手紙、書いても無駄か。
  

11月10日 羽田~福岡便にて
佐藤彰 

 

 
 山梨県民クリスマスを終え、特急あずさに乗って名古屋に向かっています。外 雪。昨晩、多く方々が集まってくださいました。講演が「震災 中 クリスマス」だったせいでしょうか。震災に多く 方が関心を寄せて下さって、感謝です。山梨で 震災 お話 、2回目です。思えば震災後からこ 1年9カ月、随分各地をまわらせて もらいました。もしかしたら、5年か10年分 出会いがあったかもしれません。
 今、列車 山梨県から長野県に入りました。長野県にも福島から避難して、息を潜め生活している教会員がいます。突然、話が我が家 犬にスライドして恐縮ですが、一緒に避難生活をしてきた愛犬が、ここのところ急に体調を崩し、今日 犬猫病院で点滴をしている ずです。震災から1年9ケ月 長旅 、老犬にとっても過酷だったでしょうか。
教会員も、体調を崩す方が出てきています。ある方 「互いに長生きしましょう」を合言葉に、励まし合っています。目 前に、震災2年目 厳しい冬が待っています。 外 、相変わらず雪。果たして各地に散っている教会員 、大丈夫でしょうか。
 

12月8日 特急「あずさ」で甲府から塩尻へ
佐藤彰
 

 
「来年、また一緒に住もう」って言ってたのに。
「ごめんね、パピ」。
 
 
 震災後、激動続きだった。もしかしたらパピ、「ぼくは見捨てられた」って、思ってた?
そんなことないよ。
 
 ごめんね、パピ。
 
 震災当日、千葉の娘のアパートで一緒に被災したパピ。
パピもよほど怖かったと思う。だけど、あそこには赤ちゃんもいたし、パピはもう大人だったから「我慢しなさい」って言われて、ほんとうはパピも震えてた?どんなにか、抱いてほしかった?
 
 ごめんね、パピ。
 
 迫り来る老いも感じ、たまらなく不安な日々もあった?そういえば、訳もなく時々震えてたっけ。お父さんお母さんはいつも余裕がなくて、何が起きているのかパピにはわからなかったと思うけど、パピなりに一生懸命事態を把握しようとしてたんだね。そして、どうしたらいいのかを考えて。震えが止まらない自分を、ぎりぎりの我慢で抑えてた?
 
 パピも、よく頑張った。さすが東北にもらわれてきた犬だ。パピは、お父さんの自慢の犬だったよ。もしもあれが、パピとの最後の別れの時になるとわかっていたなら、ずっとパピに寄り添って、話しかけ、パピだけを見つめていたかった、なんて、今頃言っても遅いよね。
 だけどまさか、パピのいない世界が来るなんて、考えてもいなかった。
 
 パピ、お父さんはパピに冷たかった?震災後、特に?心の中で、いつもごめんって、言ってたんだ。
 
 月曜日、出張の帰り道、パピの容体が急変したって病院から電話があって、すぐに飛んで帰りたかった。あんなに電車が遅く、時間が長く感じられたことはなかった。時計ばかり、見つめてた。「何とか間にあいますように」って、必死に祈ってた。必ず間にあって、抱きしめたかった。
 ひとりで病院におかれ、どんなに寂しかった?苦しかった?パピは、人一倍寂しがりやだし、甘えん坊だから、そして怖がりだったし、ほんとうはずっと隣にいて欲しかった?
 病院に着いてみると、治療台の上のパピは変わり果て、ピクリとも動かずに横たわっていた。でも、お父さんとお母さんが迎えに来たのがわかったの?「クン」て鳴いたね。忘れないよ。あれが、最期の一鳴きだった。
 目もうつろで、ぐったりしたままだったけど、「あっ、パピがないた」って、驚いたんだ。あれは、「お父さん、お母さん!」だった?
 ねえパピ、お父さんとお母さんは必ず迎えに来るって、信じてたの?それを待って、必死に命をつないでた?あの振り絞るような最後のあいさつ、ちゃんと受け取ったから。
 
 だけどもしかして、あれは「さよなら」だった?
 
 それとも、「お父さんお母さん、遅いよ」って怒ってたの?
あるいは「苦しいよ」って?
 
 なんでもいい、もう一回鳴いて。
 
 いとしい、パピ。
 
 だけどもしも、「お父さんお母さんに、最期に会えてうれしい。僕は、佐藤家にもらわれてしあわせだった」だったとしたらうれしいな。震災後の旅路と、パピの最期を振り返ったら、そんなことあるはずないか……。
 
 ごめんね、パピ。
 
 病院に迎えに行くと、お医者さんが教えてくれた。パピは何回も痙攣に見舞われたけど、よく耐えたって。心臓マッサージと、呼吸器の装着と、点滴で、じっと耐えて命をつないだって。よく頑張ったね、パピ。お父さんとお母さんが来るのを、そこまでして待っててくれて、ありがとう。
 パピが逝ってしまった後、そんなけなげなパピの姿を思って、また泣いたよ。
 
 
 それにしても、病院から両手両足をたたんだままの痛々しいパピを、まるで割れ物でも持ち運ぶかのように、そっと我が家に抱き寄せ連れ帰った10分後に、瞬く間に息を引き取ってしまうなんて、思ってもいなかった。余りに早すぎた。
 だから、あの一声はやっぱり「お父さんお母さん、ありがとう。佐藤家のみんなや最後にお世話になった中村さんによろしく。さようなら」だったんだって、悟ったよ。
 
 パピは、律儀過ぎる。
 
 もっと甘えてよかったのに。我がままでもよかったのに。時に周りの空気も読まないで、自分を主張してもよかったのになんて、今まで「震災なんだから、みんな大変なんだからパピも、我慢しなさい」の一点張りだったくせに、ずるいよね。
 
 今にも消えてしまいそうな命を、必死につないで待っていてくれたパピは、忠犬だ。
 
 だけど、パピ。
病院に着いて、お医者さんから「病院で看取ることもできますが」って言われた時に、当たり前だけど一も二もなく、お父さんが「連れて帰ります」って言ったの聞いてた?あの時、「家に帰れる」って、喜んだ?だってパピは、佐藤家の4番目の子どもだから。絶対すぐに連れて帰るって、最初から決めてたんだ。
 
 ほんとうはその夜、お父さんとお母さんは寝ずの看病をするはずだった。弱り切ったパピへのせめてもの罪滅ぼしに、渾身の看護をするって、決めてたのに。
 これまで、散々あちらこちらにパピを預け廻し、その分と一生分を、お詫びさせて欲しかった。いくらでも、抱いてあげるって、一晩中、語りかけるって、決めてたのに。もうパピのそばを絶対離れない、どこにも行かないからって。パピを見つめ、パピだけを最優先するって、約束するからって。 
 それがまさかの、帰宅して看護の準備を始めた10分後に、瞬く間にお父さんの手の中で、まるで久しぶりの我が家に帰って安心したかのように、息を引き取ってしまうなんて。
 
 お父さんたちが鈍感だった。大切なパピをどうしてもっと、繊細に扱わなかったのか。15年前、「大事にしてね」って静岡の飼い主さんに言われて、あずかってきたはずなのに。これでは飼い主失格だ。
 
 弱り切ったパピの体を抱き、病院を出、「さあ、パピ、一緒に家に帰ろう」って言った時、お父さん心の中で泣いてたよ。
パピも泣いてた?
 
 お父さんやお母さんと一緒に、家に帰れるから?
 
 ねえパピ、お願いだから一晩だけ、パピの看護をさせて。
 
 
 
 パピは、佐藤家にたくさんのしあわせを運んできてくれた。一生分の「ありがとう」も、まだ言ってない。
 
 パピは賢い犬で、なかなかの美男子だった。犬の間では、随分もてたね。スマートで、毛並みもいいし、少し繊細だったけど、人間ならきっと人格者だ。人の気持ちもよく察して、どこか人間のようにも感じてた。ただ、人の心を時々読み過ぎたんじゃない?もう少し、KYでもよかったかも。
 小さい頃は、子どもたちが喧嘩をし始めたと誤解して、急いで肩たたきをする二人の間に割って入り「喧嘩は止めて」とばかりに、真顔で吠えたね。ほんとうはあれを見るのが面白くて、みんなでけんかを始めたふりをして、実は笑ってたんだ。ごめん。でも、微笑ましかったよ。パピは、ほんとうに争いが嫌いな、平和主義者だった。佐藤家の平和の番人、いや番犬だったよ。長い間のお勤め、ご苦労さま。
 そんなパピだったから、大切にしてきたあの我が家を震災で失い、思い出がいっぱい詰まった故郷を追われて、二度と見慣れた風景を見ることができなかったことは、どんなにか辛かったかと思う。何の準備もなく、突然の旅に出ることになったことも、パピにとっては、耐え難いことだったと思う。
 ここまでが、パピの限界だった?よく頑張ったね。
 
 それから、いつもお父さんとお母さんが悲しそうな顔をしているのを見るのも、辛かった?それとも、旅の途中で飼い主と引き離されてあちらこちらにあずけられる方が?訳がわからなくて、もしかして捨てられたんだろうかって思うと、たまらなく悲しかった?震災で寿命を削ったの?
 「被災した犬のストレスは、そうでない犬の10倍ある」って聞いたよ。脱毛になる犬もいるって。ちょっとの音や振動にも敏感になるって。だから、パピはパピなりに、精いっぱい頑張ったんだて、知ってるよ。
 
 
 ところでパピ、14年と7カ月前、御殿場から東北の地にもらわれてきた子犬だった頃を覚えてる?仔犬のパピはかわいかった。あの日パピは、佐藤家の4番目の子どもになったんだ。姓ももらって、正式に「佐藤パピ」になったんだ。お父さんは時々「飼い主に似ている」なんて言われて、結構喜んでたっけ。犬の飼い方の本も、たくさん買ったし。「犬と似ているって言われて喜ぶなんておかしい」って家族に言われたけど、構わない。お父さんは、ほんとうに嬉しかったんだ。だってパピは、もらってみたらチャンピオン犬の子どもだったし、我が家の誰よりも血筋はいいし、何しろ気品が漂っていて、面白くて愛くるしいし。
 なんてまた、かつての親ばか犬バカがよみがえってきた。
 
 それなのに時は流れ、佐藤家に新たなスターの孫たちが誕生すると、昔のパピ歓迎ぶりは影を潜め、写真に撮られる機会もめっきり減って、時々「危ないから、そこどいて」なんて言われたりもして、部屋の片隅に追いやられる時もあったっけ。あの頃、しみじみ人生の黄昏を噛みしめてた?
 
 今回、獣医さんからは、寿命ですよって言われたけど、お父さんとお母さんは今も呆然自失状態で、改めて小さいパピの存在が、いかに大きかったかを思い知らされている。
 思い返すとここ数年はパピは耳も遠くなり、視力も落ちてきてた。顔の毛の色はみるみる白くなって、あれ白髪だったんだ。ひたひたと迫り来る老いの恐怖を、ひとり抱いて噛みしめてた?孤独も?
 そんなことも、思いやってあげられなくて、ごめん。
パピのこと、どれほども理解していなかった。
 そういえば、この間会った時、いつになくお父さんに体をすり寄せてきて、顔をそっとお父さんの手の上にのせたっけ。「あれ?」と思ったけど、あれは迫り来る老いの恐怖を感じての、遠慮気味の甘えだった?
 
 だけどパピには、感謝してる。佐藤家の3人の子どもたちの成長を、しっかりと見守ってくれた。子どもたちが家を出、お父さんとお母さんが二人きりの寂しい生活に入った後も、ずっと寄り添ってくれてありがとう。パピはお父さんお母さんに、何の迷惑もかけてないからね。
 ただ少し、良い子過ぎたかも。最後は、遂に介護もさせてくれなかったし。もしかすると、三日間の入院に止めて逝ってしまったのも、なるべく入院費を少なくして、迷惑をかけまいとした?
 
 だったら、けなげ過ぎるぞ。
 
 そういえば、最後に面倒を見てくれた中村さんが、言ってた。パピは、宣教師だったって。パピと一緒の散歩道がきっかけで、ご近所のいろんな方と知り合いになって、そこから随分の人が教会コンサートに来てくれたって。よかったね。パピは、なるほど牧師の子だ。
 そういえば、いつもお父さんがお祈りする度に、家で「アーメン」に合わせ「ワン」て鳴いてたっけ。あれはてっきり今まで、食事が始まる際の合図の、犬の条件反射だなんて勘違いして説明していたけど、パピ語での、れっきとした「アーメン」だったんだね。犬語が、わからなくて、ごめん。失礼しました。
 だけど確かに、食事のあるなしと関係なく、どの場面でもお祈りが始まると決まってすぐ加わって、最後の「アーメン」に合わせて「ワン」って吠えてた。
 パピも、クリスチャンだった?
 
 ペット火葬場に初めて入り、骨になったパピと対面して、改めて「こんなに小さい犬だったんだ」って、驚いたよ。あんなに小さな頭で一生懸命考え、割り箸のように細い足で飛び跳ねてたんだ。
 パピは、小さないのちを精いっぱい、生きたね。
 
 お父さんもお母さんも佐藤家の子どもたちも、大げさに言えばパピに出会った人みんな、パピからたくさんの笑いやしあわせをもらったよ。散歩に行けは、多くの人が「かわいい」って、ほほ笑んでくれたし。
 
 パピ、佐藤家の一員となってくれて、たくさんの温もりを運んできてくれて、ありがとう。
 
 パピが逝ってしまった直後、お父さんとお母さんは話をしたんだ。もしもこれが最後だとしても、「お父さんは、お母さんと結婚して幸せだったって思っているよ」って。お母さんは最初、急にお父さんが妙なこと言いだすから気味悪がっていたけれど、お母さんの方からも、お父さんに同じこと言ってくれた。だって別れは、いつ突然やって来るかわからないって、パピの死が教えてくれたから。パピの死を、無駄にはしないよ。パピは、ほんとうに小さい犬だったけど、どんなに小さい命でも、その存在は限りなく大きいんだって、何にも代え難くてスペアーはないんだって、心が痛いほど教えてくれたから。
 そしてこうしてお父さんたちは、未だにお通夜みたいな生活を引きずってる。そんなに簡単に、パピの存在を振り切ることはできそうにない。
  
 そんなこと、昨年の震災の時、十分に学んだと思っていたのに、どれ程のことも勉強していなかった。「お父さんお母さん、くれぐれも命を大切にしてね」って、パピの死が教えてくれた。
 
 パピの遺体を横に、あの晩、14年前のビデオを探し出して、観返したんだ。そこには両手に収まるくらいの仔犬だったパピが、我が家にもらわれてきて、まるでウサギのように我が家の中を飛び跳ね、ネズミのように公園内を走り回る姿が映っていた。まぶしかった。みずみずしくて、いのちが躍動してた。
 
 ほんとうのことを言うと、仮にパピが死んでしまうようなことがあっても、ペットロスにならないようにしようって、お母さんと予防線を張って打ち合わせしてたんだ。だけど、駄目だった。所詮犬だからとどんなに言い聞かせても、パピはお父さんとお母さんの中で、それ以上の存在だった。
 ただでさえ震災で多くのものをロスしているのに、この上パピまで失うことになったら耐えられないって思ってた。だからパピ、もう一度戻って来て。ボクほんとうは生きてるよって、どこかからでもいいから、ひょっこり顔を出して。そしたら、いっぱい撫でてあげる。ワンワン吠えながら、かつてのあの日のように、踊るように思いっきり飛び跳ねてきて。
 ボクのこと、こんどこそ大事にしてね、って甘えてすり寄ってきていいよ。一緒に、大好きな散歩に行こう。それとも、ドライブがいい?車の窓から顔を出して、いつものようにきょろきょろと全世界を見回すんだ。お父さんは、ハンドルを握って、サイドミラーをちらちら眺めながら、パピヨン犬自慢の大耳のロングヘアーがしっかりと風にたなびいていることを確認して、さも誇らしげに車を走らせる。「絵になるな」って、ひとりでまた悦に入って。
 
 パピ、「しあわせな日々をたくさん、ありがとう」
パピは、ほんとうにいい犬だった。
 
 さようなら、パピ。
 
 
 
 
 
 ぽっかりと空いた心の穴を、果たして時の流れが埋めてくれるだろうか。パピを失った、色の消えたような世界に、再び色はつくだろうか。              
 
 

2012年12月13日、パピが死んだ三日後に、徳島市民クリスマスに向かう道々
佐藤彰

 

 
 
本の作者・ちえ子夫人による本の朗読です。末富敦子師による琴の演奏をBGMに。
 
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