◆◆ 心のビタミンA ◆◆

№ 1 そこから祈れ

「主を待ち望むものは新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。」イザヤ40:31
 
 鷲が力強く翼を買って、天高く舞い上がっていくようすが目に浮かぶみことばです。私達も、果てしなく落ちていく歩みではなく、いったんは地に落ちたとしても、どん底から天来の力をいただき、顔をしっかりと神様に向けて、天に舞い上がっていく人生でありたいものです。
 ユダヤ人の歴史において、預言者イザヤの時代は悲惨でした。他国の脅威にさらされ、国内の治安や道徳は乱れ、信仰は忘れ去られ、退廃と自暴自棄の嵐の中で、壊滅寸前の状況にありました。
 しかし、だからこそ主を仰げというのです。すべてに絶望している今こそ、主にのみ期待し待ち望むようにと。
 私たちは、いつでもどこからでも祝福を受けられます。その鍵は、どこにへたり込んでいようとも、自在に引き上げることがおできなるお方に向かって、祈り求めるか否かにあるのです。
 

№ 2 天を仰いで

「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」詩篇127:1
これは私の最も好きな聖句です。
 
 神学校に入学した時、私は真の意味で祈ることを知りませんでした。祈ることを知らないのですから、自分の力で勉強をし、人間関係をこなし、奉仕をやり抜く以外にありません。
 しかし、やがてがんばりは限界に達し、すべてに行き詰まり、新たなる力の必要を感じ始めました。前後左右に行き詰まると、人は自然と顔が上を向くようです。内側に渇きをおぼえた私はどうにもしようがなくて、初めて一対一で神に向かって叫び求めました。神の前に出ることを知ったのです。
 行き詰まらなければ祈りが身に付かないのですから、情けない気もします。けれども、とにかく神との個人的な、直接のパイプがつながったのでした。
 祈りのない生活から、祈りを呼吸として現実に生きる生活へ。なんという変化でしょう。「神の祝福とはこのようなものだったのか」と体感し始めたのは、それからです。
 

№ 3 新しくされる

「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。」創世記32:28
 
 私はヤコブが好きです。おそらく目の前にしたら、好かれるタイプの人間ではないでしょう。しかし、彼は執拗に神に向かい、神の使いと格闘までし、新しく神の前で生まれたごとく、「イスラエル」という名前をいただいたのです。
 神学校を卒業し二十五歳で福島県の教会に就任した時、私はよく田んぼの畦道を歩きながら祈りました。夜中の二時、三時に祈ったこともあります。すると、田舎のことですから星が美しく、その背後におられる神の臨在を不思議な感動をもって体験することがありました。
 ここから、心を注ぎ出して祈るならば、必ず主がこの地でみわざをなしてくださる。
必ずや、この神が偉大なことをなされる。わけもなくそんな確信に満たされ、夜空の星の下、思わず知らず心が躍ったことを思い出します。
 主の御前に出て、心を注ぎ出しましょう。主が私たちを新しくしてくださるのです。
 

№ 4 祈りの足跡

「彼がベヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。」創世記32:31
 
 ヤコブはびっこを引いていました。神と直接闘って打たれたのですから、仕方がありません。けれども、太陽の下でびっこを引いて歩くこの時のヤコブの心には、おそらく、一点の曇りも後悔もなかったことでしょう。
 私はどういうわけか、座ってじっとしていると、なかなか祈りに集中できません。苦肉の策でよく外を歩きながら、景色を眺めたり天を仰いだりして祈るようになりました。
 ところが数年前から、特に寒い冬の日には、外を歩くことができなくなってしまいました。ひざが痛むようになったのです。雪や大雨の日まで、合羽を着て外に出て歩いたためではないかと思います。
 けれども今、あの山この道で、熱い願いを主の前に心注ぎ出した日々や足跡が懐かしく思い起こされます。ヤコブはびっこを引きましたが、祈りの足跡はいつまでもさわやかに残るのです。
 

№ 5 聖書を読もう

「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。」Iペテロ2:2
 遅ればせながら、神学校に入学後、初めて心を注ぎ出して祈ることを覚えた私でしたが、恥ずかしいことに、日々みことばを読み、みことばに養われる生活は、牧師になった後も身に付いているとはいえない状態でした。
 遣わされた教会は連日の家庭集会で忙しく、その準備に追われる私はそれをいいことに、説教の準備自体が私の「みことばの時」だと理屈をこねていました。
 しかし、それは長続きしませんでした。毎日人に聖書を説きながら、自らはみことばの養いを受けていないことの非を示されました。
 そして、三十歳を機に一つの決心に導かれました。五十五歳までの二十五年間に百回聖書を読んでみよう。そのために、原則として一日に二十章の聖書通読の目標を立てました。たった一度しかない地上の信仰生涯で、せっかく与えられたこの聖書を徹底的に読んでみようと思うに至ったのです。
 

№ 6 母の祈り

「この子のために、私は祈ったのです。」Iサムエル1:27
 
 ハンナはその子サムエルのために祈りました。サムエルが用いられた第一の理由は、母の祈りにあったといってよいでしょう。
 私の母もクリスチャンです。「写真結婚」だったらしいですが、嫁ぎ先では嫁姑問題などがあって苦労し、そのような中で、たまたま私たち兄弟を教会の幼稚園に入れたことがきっかけで、信仰をもちました。三十数年も前です。ところが私は、中学から高校にかけてすっかり教会から離れてしまいました。母はずっと、祈り続けていたようです。
 さて、高校も終わりかけた頃、突然自分から教会に戻り、洗礼を受けて大学に進んだ私は、卒業をひかえて、牧師になる決意を母に告げました。すると、「あなたは二歳の保育園児の時、将来ボクは教会の牧師先生になると言った。以来私は、そのために毎日祈り続けてきた」という返事が母から届きました。
 牧師になって十五年。その背後に母の祈りが二十年積まれていたのです。
 

№ 7 母の祈り天幕を広げなさい

「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」 イザヤ54:2
 
 九一年度の私たちの教会の目標は、「あなたの天幕を広げなさい」でした。会堂も第四会堂の建設に向かって動き始めましたが、同時に、教会学校の数も毎週七ヵ所に増えました。土曜日に並行して五ヶ所と日曜日の朝に二ヵ所です。
 田舎でも、昔のように、映画会をやるとすぐ百人もの子どもが集まる時代ではなくなりました。大きな壁を前に苦悩し、右往左往していた気がします。
 けれどもある時から、一堂に百人集まらないといってがっかりすることをやめました。その代わり、家々や会堂で、また教会学校専用の建物を建てて、あちらでもこちらでも広域に教会学校を開くようにしたのです。
 するとどうでしょう。一ヵ所は十人二十人であっても、合わせると毎週百名前後の小学生が出席するようになりました。がっかりしないで、天幕を広げることに挑戦してみるならば、道は開けると思います。
 

№ 8 そこにとどまれ

「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」詩篇1:3
 
 私たちは、場所を変えると祝福されると勘違いしていないでしょうか。今この場で、まず祝福されることを求めてほしいのです。
 私が遣わされた教会は福島県の人口一万人の小さな町ですが、ここで神さまは祝福してくださる、と信じることが大切だと教えられています。
 うっかりすると、他の教会と比較してがっかりしてしまいがちです。若い人は高校を卒業すると、百パーセント当地を離れます。大学も短大も専門学校もなく、就職口さえないといってもいい所ですから。
 でも、残る生涯を誠実に主に仕えたいと願っている年輩の方は多くいらっしゃいます。そして、実に味のある奉仕をなさいます。ワープロも事務も草むしりも、そのほか教会の裏方の仕事は、年輩の方々の心を込めた奉仕のささげものです。まずこの場所で祝福をいただきたいのです。
 

№ 9 天に通じる告白

「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」ルツ1:16
 
 モアブ人の嫁ルツは、すべてを捨ててでも神を第一に生きていくという精一杯の信仰告白をしました。そして、神は確かにこの告白を聞き届け、彼女のその後の生活を祝福されました。
 私たちの教会に八十歳を過ぎたおばあさんがいます。若い頃から体が弱く、今は一週間寝たきりの生活ですが、それでも何とか礼拝だけは守りたいと願っていらっしゃる方です。しかし、暑いある夏の一週間、食事はもとより水ものどを通らないほど弱って、さすがに、次の日曜日は教会に来られないだろうと思われました。
 ところがです。日曜日が来ると、いつもと同じように彼女は自分の礼拝の席に座っているのです。前日に共に祈り、食事がとれるようになったという不思議な備えもありました。けれども、どんな状態でも礼拝だけは死守したいという、彼女の願いが天に通じたのだと私は思いました。真実な信仰の告白は、祝福を受けるのです。
 

№ 10 神第一

「私は決して、わが家の天幕にはいりません。私のために備えられた寝床にも上がりません。」詩篇132:3
 
 何を差し置いても、主を礼拝する神殿を建てたい。自分の生活のことよりも、まず主の御住まいを大切にするダビデの信仰がよく伝わってきます。
 私たちの教会に、最近マイホームを建てたご夫婦がいます。ご主人が以前にこう話していたことを、今も覚えています。
 「あまり早く自分の家を建てたいとは思いません。『ローンの支払いが大変だから、会堂献金はできない』とは言いたくないのです」
 立派だと思いました。そして、そのような姿勢は必ず祝福されると思いました。
 要は、第一のことを第一に考えることです。神さまのことを犠牲にしたり、後回しにしたりして、自分のことを最優先したいという誘惑に待ったをかけることです。徹底して神さまを第一にしていく時に、結果は最善に導かれるのです。

№ 11 父の涙

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」マルコ15:34
 
 以前、次女が川崎病にかかったことがありました。川崎病が何なのかも知りませんでしたが、当時、突然死に至る原因不明の病として恐れられていたことがわかって、親として極度の緊張に襲われました。
 一歳半の次女の病状は重く、舌にいちごのようなぶつぶつができ、唇が裂け、手足は手袋のようにふくれ上がって、高熱が続きました。
 次第に弱っていく娘を見て、十字架上のキリストの絶叫と、おそらく胸張り裂けるような思いでそれを見つめられる父なる神の心境が、少し理解できるような気がしました。
 娘はわけがわかりません。なぜ親から切り離されるのか。注射針を打たれ、白衣を着た大人たちに取り囲まれて傷つけられるのか。それをなぜ親は黙って見ているのか。
 できるものなら代わってあげたいと思いながらも、祈るしかなかったあの時。御子イエスを見つめられる父なる神のお心がしのばれます。
 

№ 12 家族の絆

「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17:1
 
 九一年春、私の友人の牧師が、六歳の次女を白血病で失い、感動的な葬儀がなされました。特に感銘深かったのは、そこに見られた家族の絆でした。
 亡くなる半年ほど前、骨髄移植を試みたことがありました。お姉ちゃんはまだ小学生。お姉ちゃんもヘルペスという病気にかかり、手術は危険だということでしたが、早く手術しないと妹が助からないために断行されました。万が一の場合、お姉ちゃん自身の脳が冒される危険があることを、本人も十分理解したうえでのことでした。
 手術後すぐ、まだ痛みが残る中で、お姉ちゃんは車椅子に乗り、真っ先に妹のいる病室に向かったそうです。そして、「とわちゃん〔妹〕、大丈夫?」と言ったのです。
 この家族には、白血病との過酷な闘いという苦しみがありました。しかしそれゆえにこそ、すばらしい家族の絆が生まれたのでした。  
 

№ 13 きょうだいの絆

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」詩篇133:1
 
 親しい友人の牧師が六歳の次女を白血病で亡くしたことは、先に記しました。葬儀の会場には、思い出のアルバムがコメント付きで貼り出されていました。その中に、小学校低学年のお姉ちゃんがある日、自慢の長い髪をバッサリと切り、ショートカットにしてしまった時の写真が飾られていました。
 私は、胸にぐっとくるものがありました。
 妹が、幼稚園にも行けず、頭髪が全部抜け落ちるような強い抗がん剤を用いて闘病している。妹ひとりに病と闘わせはしない、自分も髪の毛を切っていっしょに闘おう。おそらくそんな無言の決意が、自慢の長い髪を切らせたのだと思います。
 小学生と、就学前の女の子同士の話ではあります。けれども、きょうだいの結び付きがこんなにも強いものだったのかと、改めて思い知らされた一コマでした。
 

№ 14 永遠の世界

「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」伝道者3:11
 
 愛娘を白血病で天に送った友人の牧師は、その子に「永遠(とわ)」という名前をつけました。まさか、その子がこのような生涯を送ろうとは思いもせずに、彼が永遠の世界を人々に伝えようと、仕事をやめ神学校に行く献身の表明としてつけた名前でした。
 そして、いよいよ神学校を卒業し、開拓伝道を始める矢先の娘の発病でした。献身の表明に永遠と名づけられた彼女は、父親が献身者として公の働きに踏み出した時、アブラハムによってイサクがささげられたように、永遠の神のみもとに召されてしまったのです。
 その葬儀は感動的でした。同じ病で悩む「白血病の親の会」の方々や、病院でお世話になった看護婦さんたちが大勢集う中、天国で再会する希望、永遠のいのちの希望が明確に力強く語られました。
 彼らは天において再び、だれ一人欠けることのない家族になるでしょう。永遠のいのちは存在するのです。
 

№ 15 目立たないところで

「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」マタイ6:3
 
 私たちの教会の第一会堂は、約四三〇坪の土地に建っています。第三会堂も約三〇〇坪の敷地があります。夏になると、特に庭の草むしりは結構な仕事ですが、そのほとんどを黙々と一人でしてくださっている婦人がいます。
 「黙って」というところが大切です。どしゃ降りの雨の日には、雨合羽を着て、またある時には、気が付けば敷地の片隅で目立たないように・・・・・・。牧師の休日でもある月曜日は、気を遣わせないために、わざわさオートバイのエンジンのスイッチを切って、押しながら教会に入って来られます。
 ありがたいことです。このような信徒たちによって、教会は支えられているのだと思います。もちろん、キリストのからだである教会には、目立つ部分と目立たない部分があり、双方が必要です。しかし私たちの姿勢としては、目立たないところでこそ全力を尽くし、心を込めて奉仕をささげる信仰者でありたいものです。
 

№ 16 忠実

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」ルカ16:10
 
 私たちの教会に有給の事務員がいます。都会の教会であれば、若いスタッフというところでしょうが、私たちの場合は、長年事務畑の仕事をされてきた婦人会員の、定年後の心を込めた奉仕です。
 有給とはいうものの、実際には献身的な奉仕の心がなければできないことを知って、私は心から感謝しています。
 以前、こんなことがありました。午後の六時頃、電車で五時過ぎに帰ったはずの彼女が、また電車に乗って教会に引き返して来ました。どうしたのだろうと聞いてみると、鍵をかけ忘れたのではないかと心配になって、戻って来たというのです。
 若い人がてきぱきと仕事をこなす姿も、見ていて気持ちがいいものです。しかしこのように、ひたすら忠実に、一つ一つを主にささげるようにしてなされる、味のある奉仕もあるのです。
 

№ 17 知恵が必要

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。」ヤコブ1:5
 
 数年前、私たちの住む福島県浜通りの田舎の田んぼの真ん中に、ドイツ風の高級レストランがオープンしたことがあります。
 物珍しさもあって私も一度入ってみましたが、一番安いカレーライスが千円を超えていたのには驚きました。なるほど、店内は素敵なインテリアが施され、最高級の食器を使っていることは認めますが・・・・・。
 店の将来に不安をおぼえ、自分も二度と来ないだろうと思いつつそのレストランを出ましたが、案の定、数ヵ月後にその店はつぶれました。
 確かにアイデアはよかったかもしれませんが、場所を間違えたと思うのです。東京や他の地方都市だったらよかったのでしょうが。
 どこかでうまくいったからといって、そのまま取り入れても成功しないことを教会も教えられます。場所をわきまえ、現状を知り、将来を見通す知恵をいただきたいものです。
 

№ 18 いのちの営み

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ1:23
 
 私たちの町は、もともと二つの村が合併してできた人口一万人ほどの町です。
 ですからデパートもないような所ですが、駅前の商店街を眺めてみると、同じ家族経営でも店によってそれぞれ、ずいぶん印象が違うものだなあと感じさせられます。
 ある店は従業員のいない個人経営ですが、よく京都、大阪にまで仕入れに出向き、新聞に手書きのような折り込み広告を入れ、何とか一人でも多くのお客さんに来てほしいと、精力的に経営努力をしています。同じ職種の店でも、ただ先代からののれんを守るだけで、意欲があまり見られないところとは、大きな違いを感じます。
 デパートになれなくても、家族経営ならそれでもいいのです。教会も、福音の種が蒔かれたその場所で、人々が来会した時、キリストのいのちをそこに感じるような営みをなしていきたいものです。
 

№ 19 自分を捨てて

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」マルコ8:34
 
 以前、フィリピンを訪れた時、タクシーを走らせ、高山右近の銅像を見に行きました。
 戦国時代、戦いにおいては天才的といわれた武将です。十字架じるしのクロスの御旗を掲げて戦う武将としても有名だったようですが、最後は、その信仰のゆえに祖国日本を追われ、はるばるフィリピンまで流れ着きました。
 当時の名ばかりのキリシタン大名のうちで、高山右近の信仰は本物だと、豊臣秀吉は見抜いたといわれます。キリシタン禁令が敷かれ、秀吉は右近に信仰を捨てるよう迫りましたが、彼は、「他のことならいざ知らず、霊魂の救いを捨てるわけにはいかぬ」と信仰を貫き、ついには城を開け渡したのです。
 当時、アジアで唯一のキリスト教国フィリピンの人たちは、彼をマニラの港に出迎え歓迎したそうですが、地上で大切なものを犠牲にして信仰を貫いた者に対する、天の御国での歓迎を思わせるではありませんか。
 

№ 20 命を捨てる愛

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15:13
 
 1930年長崎に来日し伝道した、ポーランド人コルベ神父のことはよく知られています。後に帰国した祖国にドイツ軍が侵略して来て、彼はナチスの手によって、何の罪状書きもなくアウシュビッツの収容所に入れられました。
 ある日、脱走して見つからなかった囚人の代わりに、無差別に10人が餓死室に送られるという事件が起こりました。まだ若い元兵士が、「自分には妻と子がいる」と命乞いするのを見たコルベ神父は、自分が身代わりになることを申し出て餓死室に入り、14日後に絶命しました。
 人間はここまで残虐になり得るのかと、人間不信に陥らせるアウシュビッツ。しかし、コルベ神父が命を捨てたその部屋は、いつも人々の捧げる花で一杯だそうです。人のために自分の命を捨てる。これ以上の愛はありません。彼はこの愛をまず日本人に伝えたかったのではないでしょうか。 

№ 21 十字架の愛

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」ヨハネ3:16
 
 「キリスト教のいろいろなことはわからないけれど、十字架が本物であることだけはわかる」。以前、そう言って、おもむろに古い写真を取り出して見せてくれた方がおりました。まだ20代に見える、若くて美しい女性の写真でした。聞けば、写真の女性はその方のお母さんで、自分を産むと死んでしまったというのです。
 医者から出産に伴う危険を聞かされてなお、産む決意をし、結局、自らの命を投げ出して新しい命を誕生させた母親。そのような愛にはうそがないと、その方は言われました。「死んで自分を生かしてくれ」と願ったわけではありません。母親の声もぬくもりも知りません。けれども、世界中でだれよりも母が自分を愛してくれたことは、その死が証明しているのだと。
 イエス・キリストは私たちのためにいのちを捨てました。ぬくもりも声も知らなくとも、私たちへの愛は、その死が物語っているのです。
 

№ 22 奉教人の死

「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」イザヤ53:7
 
 芥川龍之介は晩年、『奉教人の死』 という小説を書きました。
 修道院で世話を受けていた美少年が、娘に子を宿したというかどで追い出される。しばらくしたある日、大火事が起き、先の若い母親は気が狂わんばかりに火中にいる赤子の助けを求めるが、野次馬たちはだれも応じようとしなかった。
 するとどこからか、あの美少年が火の中に飛び込んで行き、火だるまとなりながら赤子を助け出した。
 しかし彼は死んでしまった。焼けただれた服の間から、女の胸が現れた。彼は女だったのだ。初めから、娘に子を宿したことなど身に覚えがなかったが、「彼」 は修道院で、一切の弁明抜きで黙っていのちを捨てた救い主キリストの話を知り、自分もその教えに従ったのだった。
 「奉教人の死」 --- キリストの教えに奉じていのちを捨てた人の死です。
 

№  23 人生が変わる

「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった。』と言った。」マルコ15:39
 
 スウェーデンの作家ラーゲルクヴィストは、『バラバ』 という小説を書いて、ノーベル賞をとりました。バラバについては、イエスに代わって恩赦を受け釈放された囚人であったことが聖書に記されています。
 小説はその後のバラバの様子を描いています。彼は人が変わったようになりました。
 「クリスチャンたちは、キリストが全人類のために死んだと言っているが、それは違う。彼はおれのために死んだのだ。事実彼が死んだことにより命拾いしたのは、このおれなのだ」
 そして、それまで人を踏み台にして快楽を手にすることが人生だと思ってきた彼が、一番大事だったはずの自分の命をキリストのために投げ出して死んでいくのです。
 キリストの十字架の死に出会う時、「すべては自分のため」 から、「すべてはキリストのため」 に変えられるのです。
 

№ 24 弱い者の証しをも

「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」IIコリント12:10
 
 私たちの教会に、元軍人のお年寄りがおられます。以前は大変頑固だったようですが、すでに亡くなられた夫人に導かれてクリスチャンになりました。夫人はもともと体の弱い方で、心臓病で亡くなったそうです。
 ご主人のアルコール依存症がひどかった頃、彼女がなけなしのお金をはたいて夫に一枚のワイシャツを買って来たところ、彼は烈火のごとく怒りました。「こんな金どこにあった。金があるのなら酒を買って来い!」 と怒鳴ると、せっかくのワイシャツを目の前でビリビリ破ったというのです。すると、夫人は破れたワイシャツを黙って拾い集め、ひとこと、「ごめんなさい」 と言ったそうです。その時、「おれの負けだ。体の弱い妻がどうしてこうも強いのか」 と、ご主人は思い知ったのです。
 そんな夫人の証しの積み重ねが、ご主人の心を突き動かし、やがて洗礼にまで導きました。私たちは弱くても、私たちのうちにおられる方は強いのです。
 

№ 25 壁は崩れる

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒16:31
 
 先にお話しした元軍人の頑固なご主人は、心臓病を抱えた奥さんに導かれクリスチャンになったわけですが、事の次第はこうだったそうです。
 ある日、奥さんがご主人にきっと叱られるだろうと思いながら、「お父さん、私、洗礼を受けていいでしょうか」 と恐る恐る聞きました。ところが、雷が落ちると覚悟していた奥さんが聞いたのは、「おれも教会に行って洗礼を受ける」 という夫のことばでした。そして実際、ご主人は教会や聖書のことは何一つわからぬまま、奥さんと一緒に洗礼を受けたというのです。
 偉大な伝道者によっても、その家庭に福音が根ざすことは難しかったでしょう。しかし、一人のか弱い女性がまず内にしっかり信仰を握りしめ、家族の中で息長く一つ一つ小さな証しを積み上げていった時、壁は崩れたのです。まず自分がしっかりと信仰をもち、そこに生きることです。やがて福音は浸透するのです。
 

№ 26 クリスチャンホーム

「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。」エペソ6:4
 
 ある牧師の息子さんが、子どもの頃を振り返ってこう話していました。
 「(日曜日の礼拝で) 運動会の昼食は、いつもひとりぼっちだった。両親が教会を休んで運動会に来るべきだ、などと思ったことはないけれど、子ども心を察してほしかった・・・・・」
 ややもすると、あれもダメ、これもダメで、暗くて重苦しいクリスチャンホームになりがちです。「クリスチャンホームに生まれて本当によかった」 と子どもに思わせるような喜びを大切にしたいと思います。日曜日の運動会が無理だったら、別に日に時間をとり、家族一緒に楽しい時を過ごしたらどうでしょう。必ず、「 お父さんお母さんは、僕のことを大切にしてくれている」 と感じるはずです。
 ゴルフのつきあいや仕事を口実に家族を二の次にする家庭とは、ひと味違ったクリスチャンホームの良さを、子どもたちに実感させてあげたいものです。
 

№ 27 子育ての物差し

「かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」エペソ6:4
 
 長女が、「今日は校内マラソン大会だから行きたくない」と言ったことがあります。どうやら走ることが苦手らしく、練習ではクラスでビリだったようなのです。そこで、こう助言しました。「ビリの前になれ」。
 ビリの前にならなれるかもしれないと思ったのでしょう。気を取り直し学校に向かい、走った彼女は本当にビリの前になりました。ケーキを買って来て、夕食後、みんなでお祝いをしました。ビリの前のお祝い。彼女はよほどうれしかったらしく、後日そのことを作文に書き、クラスで読まれたということです。
 勉強でもスポーツでも、一番だけが素晴らしいのではありません。ビリの前も素晴らしいのです。均一均等の物差しで子どもを測り、下手をすると親の見栄のために、他の子どもと競争をさせて勝つことに躍起になりがちです。信仰の物差しをもって、主の教育と訓戒によって、神さまから預かっている大切な子どもを育てたいものです。
 

№ 28 永遠への思い

「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」伝道者3:11
 
 しばらく前、子どもの電話相談のラジオ番組で、小学6年の男の子が、「先生、僕は死んだらどうなるのでしょう。怖くて夜も眠れないのです」 と質問していました。すると一人の先生は、輪廻思想を説き、「牛や馬になって生まれ変わる」 と答え、他の一人は、「物理的には無になる」 と答えました。
 両方の答えに満足しない男の子に向かって最後は、「子どものうちから死ぬなどということを考えないで、スポーツしたり勉強したり遊んだり、もっとやることがあるでしょう」 とねじ伏せました。
 そうでしょうか。犬や猫ならいざ知らず、人間は衣食住が足るだけでは満足できないのです。なぜ自分は死ぬのか。だれが死を定めるのか。そして、死後はどうなるのか。永遠への限りない問いを足がかりに、永遠への思いを人の心に与えられた、永遠の神に到達したいものです。
 

№ 29 人間の本能

「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」伝道者1:2
 
 海がめは不思議です。母親が卵を産み落とし、海辺で割れて新しい命が誕生する頃には親がめはすでにいないのに、すべての子がめは、山のほうにではなく海に向かって一匹迷わず歩き始めるというのです。人の心には「永遠」 の二文字が刻まれています。ちょうど海がめの子に、だれが教えなくても自分たちは大海原で生きるのだということが、本能として刻まれているように。
 伝道者の書はあのソロモン王が書いたといわれます。彼はだれよりも偉大な人物となり、後世にまで名を残す名声、あり余るほどの財を手にしました。三千年前、世界中のすべての人々は、「ソロモン王のようになったら幸せに違いない」 とあこがれていました。しかし、彼の第一声は、もしも死んで終わりの人生であれば、どんな物を得たところで、すべては「空の空」だ、というものでした。人間には、永遠の神に結びついて初めて、満たされる心が与えられているのです。
 

№ 30 地上がすべてか

「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」伝道者7:2
 
 昔イタリアで一人の男の死が話題になりました。
 彼はかつて公営賭博で三億円を当て、「今、イタリアで最も幸福な人」 と一度はいわれた人物だったのです。ところがその後彼は、「一度当たったものが二度当たらぬはずがない」 とせっかく得た三億円に加え、それまでレンガ積み工員として蓄えたささやかな財産までも注ぎ込み、ついにはすべてを失ってしまいました。
 そしてある日ミラノ駅で、子どもに故郷に帰る指定席を買ってやる余裕もなく、止まり切らない列車に飛び乗り席を確保しようとして線路に落ち、列車の下敷きになって死んだのでした。
 彼にとって、大金を得たことが幸せだったのかどうか。それが彼の人生を狂わせ、一番大事なはずの命までも失ってしまったのです。
 地上のものがすべてという錯覚を捨て、究極の幸いを見いだしたいものです。

№ 31 自分のルーツ

「しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。「父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。」ルカ15:17
 
 中国の残留孤児は毎年毎年どうしてあんなにもたくさん、肉親捜しにやって来るのでしょう。高額のお金を借りて資金をつくり、来日したとしても、大半は手がかりも得られないというのに・・・・・。
 現在すでに生活の基盤があり、中国に家族があったとしても、自分のルーツがわからず、自分がだれから生まれ、どこから来たのかが説明がつかないのでは、今をどのように生きて、将来どこに向かって歩めばよいかわからないのではないでしょうか。ルーツの解明は、現在と未来の生き方につながるのです。
 放蕩息子は我に返りました。私たちも父なる神の御前に立ち、自分がどこから来たのか、自分のいのちは何のために与えられたのかを確かめる必要があります。神の御前に立つ時に、私たちは自分のルーツを知り、必ずや現在と未来の生き方に変革をもたらすことになるのです。
 

№ 32 死の備え

「こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。」伝道者12:6
 
 突然やってくる人間の死を描写した箇所です。今までどんなにみずみずしく、生き生きしていた命も、死んだらそれまでで、二度と修復はできません。
 末期がんの患者のケアに携わっておられるクリスチャンの柏木哲夫先生は、「生の延長線上に死があるのではなくて、私たちは日々死を背負って生きている」 ( 『生と死を支える』 朝日新聞社 ) と述べています。
 確かに、人生八十年の時代とはいっても、個人的にはだれも八十年の寿命を保証されているわけではありません。ある日突然、死が宣告されたとしても、揺るがない人生観が私たちには必要です。生と死は裏表。生きているということは、死に刻々近づいている証しでもあるのです。
 生と死の一線を超えた人生観をいただいて、死の備えある地上の生涯を、信仰のうちに全うしたいものです。
 

№ 33 いのちの息

「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」創世2:7
 
 以前、筑波大学で肺がんの研究をしておられるクリスチャン医師の木村雄二先生が、赤ちゃんの出産の不思議について次のように記していました。
 赤ちゃんが胎内から出た瞬間に「オギャー」と泣くのは実に不思議である。それが少しでも早ければ、体内で羊水を吸って死んでしまい、遅くてもまた酸素欠乏で死んでしまう。しかし、早くも遅くもなく、絶妙のタイミングで「オギャー」と泣く。実は、その前に肺に息を吹き込まれるので、胎外に出た瞬間に息を吸い込み、そして吐き出す結果、「オギャー」と言うのである。
 では、いったいだれが赤ちゃんの肺にいのちの息を吹き込むのでしょう。手足が四本あれば自動的に人間なのではありません。土から造られた肉体に、神がさながら口移しの人工呼吸のようにいのちの息を吹き込まれるので、人は人となるのです。古来、聖書が教えるとおりです。
 

№ 34 御国をめざして

「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」伝道者12:7
 
 神学生のとき出席していた教会で、牧師が、お父さんを亡くした小さな子どもに、「死」 についてお話をしているのを聞きました。子どもなので難しいことはわかりません。けれども、「蝶がさなぎからかえるように、イエスさまを信じるお父さんも、病気の体を地上に置いて、天の御国に向かって飛び立ったのだよ」 との説明にうなずいている様子でした。
 子どもだましではありません。私たちの魂はイエスさまを信じ十字架の血潮によって罪赦されるならば、天の御国に帰るのです。
 事実、人間の体は半分以上が水で、あとは炭素やカルシウムなど、土地のちりと同じ成分でできているそうです。土から造られた肉体は土に帰ります。そして神がお与えくださった私たちの魂は、なきがらを地上に残して神のみもとに帰るのです。
 罪だらけの魂がそのままでは聖い神の前に立てません。イエスさまを信じ罪の赦しをいただいて、天の御国を目指しましょう。
 

№ 35 罪からの救い

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」エレミヤ17:9
 
 時々、私たちの教会学校で、子どもたちに向かってこんな質問をします。「天国に行きたい人!」。全員が手を挙げます。「一回もうそをついたことがない人!」。しばらく考えて、だれも手を挙げません。
 子どもは正直です。「うそつきの心のままで、きれいな一点の汚れもない天国に行けると思う人!」。だれひとり手を挙げません。
 その後、「だからイエスさまを信じて罪を赦していただいて、そのうえで天国へ行きたい」と子どもたちは素直に答えて、祈ります。
 どんなにわが子がかわいくても、泥だらけの服のままの子を抱く親はいません。私たち人間は、少しでも自分を顧みるなら、ねたんだり憎んだり淫乱であったりと、とてもそのままでは聖い神の前に立てないことに気づくはずです。そのために十字架で死んでくださったイエス・キリストを信じ受け入れる以外、他にどんな救いもないのです。
 

№ 36 二つのいのち

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ローマ6:23
 
 私たちの教会に、農業を営んでおられる方がいます。その方は種を蒔く前に、すべてを蒔かずに、まず水の中にしばらく入れ、浮くか沈むかでいのちの有無を確かめて、いのちのある種だけを蒔くと言われます。
 いのちがあるかないか、見た目ではわかりません。イエス・キリストを信じて永遠のいのちをもっている人も、まだそこに至っていない人も、見た目にはわかりません。
 国木田独歩は若い頃、明治期のキリスト教会の有名な指導者であった植村正久牧師から洗礼を受けました。しかしその後信仰から離れ、死の床で植村牧師から「国木田君、祈れ」 と勧められても、「祈れません」 と答えたということです。
 同じ小説家でも、正宗白鳥は若い頃洗礼を受け一度信仰から離れたようですが、晩年、夫人の熱い祈りもあり、再び悔い改めたと聞きます。
 ちょっとした差ですが、第二のいのちの別れ道があったのでしょうか。
 

№ 37このお方のために

「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」黙示録21:3,4
 
 私の尊敬しているクリスチャンが交通事故で召されました。医者の処置が悪かったことも、大事に至らせてしまったようです。
 しかし、その後出版されたその方の遺稿集を読んで驚きました。奥様が、「私は主人を轢いた人を恨まない。医者をも恨まない」 と書かれていたからでした。「主人は死にのまれたのではない。生涯信じて待ち焦がれてきた父なる神の御もとに帰ったのだ」 というのです。大切なご主人を取られて、やる方なき憤懣を加害者や医者にぶつけたとしてもおかしくなかったでしょう。
 遺稿集の表紙には、亡くなったご主人の筆跡で、「このお方のために生きればいい」 とありました。「このお方のために生きればいい」 を遺言に、別離の悲しみを乗り越える夫婦の絆。生きても死んでも変わらずにひとりのお方を仰いで生きる、さわやかな信仰があるのです。
 

№ 38 良い知らせを伝える

「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」ローマ10:15
 
 91年の夏、私たちの教会で初めてELI英会話伝道に挑戦しました。アメリカから6週間の予定で来日したトムさんは、日本に着いてすぐ盲腸炎になり手術をしましたが、1週間後には退院し、3時間半特急電車に揺られて私たちの教会にやって来ました。
 このために長い間祈り、お金を貯めてやって来た彼。「盲腸なんかで断念しない。必ず教会へ行く」 と心に誓ったそうです。
 聞けば、神学生の彼は将来宣教師として日本に来ることを決めているとか。彼の属する教団では、「日本伝道はお金がかかるし、なかなか日本人の間に福音が根差さないので、もう宣教師を送らない」 との方針だそうですが、それでも彼は、他の方法で必ず日本にやって来たいと言いました。
 はかばかしい結果が出なくても、良い知らせを伝えにやって来る人々。その人たちを動かしている、背後におられる神の愛に、私たちは何とかこたえたいと思います。
 

№ 39 大事なものをささげて

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」マタイ13:44
 
 ELI英会話伝道のため日本に来ていた二十三歳の青年に会いました。
 聞いてみると、立派な大学を出て資格を取り、IBMにコンピューター技師としての就職が決まっていたのに、それを蹴ってやって来たというのです。一度就職すると、夏に一ヶ月以上も休暇がとれないということで。結局彼は、その後日本のコンピューター会社に就職しましたが、給料は半分になりました。
 アメリカでは友人たちから、「たった二ヶ月の伝道の計画のために、一生の就職を棒に振るなんて、頭がおかしいんじゃないか」 と言われたそうです。けれども彼は、「魂の救いのために働けたのだから後悔はない」 と感想を述べていました。
 大事なものに対して、自分の大事なものをささげる。この世から見たら非常識であっても、信仰の世界では当然のことなのです。
 

№ 40 感動とスピリット

「感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての仕事のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。」出エジプト35:21
 
 ELIスクラム伝道で初めて来日し、山形県の田舎の教会で英語を教えていたアメリカ人が、こんな感想をもらしていました。
 「私の出席している教会は素晴らしい。三十人の礼拝なのに、まるで百人で礼拝を行っているような雰囲気だ」
 その教会に流れている賛美や祈り、主に仕える姿勢のスピリットを指しているのでしょう。
 実際には三十名であっても、生き生きとした感動をもって、百人で礼拝をささげているかのようなスピリットが流れる教会。
 「この霊的な刺激を受けただけでも、はるばるアメリカから来て、日本の教会を体験したかいがあった」 と彼が心躍らせて語るのも、理解できるというものです。主にお仕えする感動とスピリットを大切にしたいと思います。

№ 41 柔軟さ

「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」Iコリント9:19
 
 以前、アメリカのある教会に出席した時、二種類の礼拝が用意されていることを知って考えさせられました。一つはパイプオルガンに聖歌隊、牧師はガウンを着て説教を語るというオーソドックスな礼拝。もう一つは、Тシャツやショートパンツ姿の多くの若者が集い、ギターの伴奏で賛美する礼拝。
 原理原則は大切ですが、教会の側でのちょっとした工夫が、多くの人や世代に福音を届ける結果をもたらすならば、その努力を惜しんではならないと教えられたのです。
 そこで前に記しましたように、私たちの教会学校では一ヵ所に大勢集める昔ながらの考え方をやめ、毎週七ヵ所で教会学校を開き、より多くの場所で広い範囲の子どもたちに届くようなあり方に変えました。
 正面から体当たりしてだめでもあきらめないで、こちらの態勢を変えてみて、斜めからトライしてみませんか
 

№ 42 伝道のスピリット

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」IIテモテ4:2
 
 アメリカのある教会を訪問した際、日本の牧師が来るということで、着いてみたら、その町の日本人を招待しての伝道夕食会がセッティングされていました。
 私は考えさせられました。もし私たちの教会だったら、タイからクリスチャンたちがやって来るといって、果たして事前に自分たちの町に住むタイの人々を調べ、お誘いし、彼らに福音を伝えるべく努力をするだろうかと。
 うっかりすると、初めから自分たちの町に住む外国人に伝道する使命があることにも気づかないで、このような機会をとらえて福音を伝えようという発想すら思い浮かばないのが現状のようです。
 先のアメリカの教会では、その町に住む外国人に福音を伝えるための専任の働き人や、遠方にある大学にも大学生伝道専門のスタッフを派遣しているということで、頭が下がる思いでした。私たち自身の心の壁をまず打ち破っていただきましょう。
 

№ 43 世界宣教の幻

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」マタイ28:19
 
 私たちの教会は、五十年ほど前に当時二十五歳のアメリカ人宣教師によって始められました。その母体となった教会は、ミネソタ州ミネアポリスから車で何時間も走り、「大草原の小さな家」 の舞台となった場所に近いロングプレーリーという町にあります。フィルム一本買うにも、いつも店に置いてあるとはかぎらないというほどの田舎町です。
 しかし、その教会を訪れた時、前日に日本宣教のために祈り献金を募る集会をもったばかりだとかで、ホールには日の丸や日本をアピールする品々が飾られていました。礼拝堂正面には、「まだ福音が届いていない国がある。主よ、私を遣わしてください」 と世界宣教をアピールする幕が張られていました。
 田舎の教会だから世界宣教などできない、小さな教会だからその力がないと言わないようにしましょう。「主よ、私を遣わしてください」 と立ち上がりたいものです。
 

№ 44 迫害の中でも

「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。」マタイ5:11
 
 以前マニラで、二十年以上も中国で投獄されていたという牧師に会いました。食事を共にしながら、中国の教会の様子をうかがい、後には私たちの教会の礼拝で感銘深いメッセージをしていただきました。
 信仰ゆえに髪の毛を剃られても、福音を恥とせずに堂々と歩むようになったという娘さんの証し。拷問にあっても、苦しみの中で十字架を思い祈ると、不思議に痛みを感じなくなったという婦人の証し。
 そして牧師自身は、祈っても助け出されない獄中生活で、さすがに不信仰の心が起こったことを正直に告白されました。しかし、病弱な一人の兄弟が母親から送られてきた貴重な粉ミルクを、「牧師先生に・・・・・」 と言って彼の口に押し込んできた時、彼はキリストの愛に圧倒され、二度と神に不平を言わなくなったということです。
 迫害の中で見事に咲く信仰の花もあるのです。
 

№ 45 赦しの実践

「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。」マタイ18:21
 
 九十年一月、十七名の教会員で韓国のビリー・キム師の教会を訪問し、ホームステイさせていただきました。
 滞在を終え、帰国の途に着くために空港に向かうタクシーの中で、私たちを迎える責任をもたれていた副牧師が語りだしました。
 「私の父は戦争中、突然日本に取られていなくなった。父親のいない母子家庭は貧しさのどん底で、自分は子どもながらに、大人になったら必ず、父を苦しめ家族を不幸にした日本に行って敵を討つのだと念じながら生きてきた。ところがその後クリスチャンになり、キリストの十字架の赦しを知って、証しとして七を七十倍するまで赦す愛の実践をしたいと、今回自ら日本人の来訪歓迎の責任をもった」
 彼は心の中で、自らの過去や生い立ちや憎しみと戦いながら、そのすべてをのみ込んで、私たちを歓待してくれたのです。十字架の赦しの実践は重いのです。
 

№ 45 泥水の中でも

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。」ローマ5:3〜4
 
 家の近くにアヤメ園ができました。紫や黄色などの美しい花が咲きそろいますが、近くに寄ってみると汚い泥水の中に咲いています。星野富広さんの詩ではありませんが、よくぞ泥水を吸ってこんな美しい花を咲かせるものだと思います。
 トルストイの『靴屋のマルチン』 は、おじいさんが奥さんを亡くし、さらに一人息子も病気で失い、生きる力をなくしているところから始まります。ところが、聖書を読むように示されて読み始めると、不思議な生きる力が内から湧き上がってくるのを体験するようになるのです。
 聖書の語る希望は、災いや困難から守られた無菌状態での希望ではありません。かえって、試練の中でどうして立っていられるのだろうと思うような、天来の力に満ちた希望なのです。泥水の中に身を置いてなおキリスト者は、いぶし銀のような信仰からくる希望の花を咲かせることができるのです。
 

№ 47 喜びと悲しみ

「患難さえも喜んでいます。」ローマ5:3
 
 なぜに主が、わざわざ患難の中を通らされるのかはわかりません。けれども主のご計画の中には、喜びや悲しみが見事に織りなされていることを私たちは知っています。
 私たちの教会に、未熟児で生まれた子どもを持つ若い夫婦がいます。ぜん息や発熱などで病院通いが絶えず、大変です。けれども、どうでしょう。普通の子以上に心配をし、手をかけて育て上げたあとの喜びや感激というのは、順調に育った子以上に大きいものがあるのではないでしょうか。
 人間が生活する上で縁は必要です。しかし、田舎に住んでいると縁のありがたみがわからず、コンクリートジャングルに住んで初めて、自然の縁にホッとし、その価値に気がつくものです。
 苦難があり悲しみがあって、喜びが映えます。主のご計画は完璧です。私たちは笑ったり泣いたりしながら、感動のある生涯を迎えることができるのだと思います。
 

№ 48 喜びと悲しみ失って後見いだす

「片足でいのちにはいるほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。」マルコ9:45
 
 私たちの教会で信仰生活の長い、ある一人の教会員は、小さいころ、高熱のため体が不自由になり、その後ずっと車いすの生活をしておられます。
 若い時は人生をのろい、母をのろったそうです。しかし信仰をもった今は、病に出会わなかったら自分は神を信じることができなかったろう、と言われます。
 確かに、五体満足で何不自由ない人生であっても、神を見いだす動機も関心も生まれぬままその生涯が果てていったとしたら、決して幸せとはいえないでしょう。
 イエス・キリストが教えられたように、片足を失ったとしても、それで心の目が開かれて神に向き、ついには永遠のいのちの希望を見いだすならば、それに勝る幸いはないのです。
 失って初めて得るもの、失ってみなければ見いだせない世界があるのです。
 

№ 49 一粒の麦

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」ヨハネ12:24
 
 四十数年も昔、小学校三年生で集団赤痢のため天に召された仁子ちゃんという女の子がいました。
 教会学校に熱心に通っていた子でした。家に帰ると、「お父さんお母さん、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、小鳥さんもねずみさんもみんな集まれ」 と言っては、「イエスさまはね・・・・・」 と、教会学校で聞いてきたことを一生懸命話す子どもだったということです。
 その子が亡くなって何十年か経って、かつては、「また仁子の話が始まった」 とばかにしていたお姉さんが救われました。彼女も数年前天に召され、私たちの教会で葬儀をしたのですが、その信仰は幼子のように純粋でした。さらにそのご主人も導かれて洗礼を受け、天に召されていきました。
 思えば、あの小学校三年生の仁子ちゃんのうちに宿った信仰が、長い歳月を経た後に実を結んだのだと思います。
 

№ 50 死んでも生きる

「彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。」ヘブル11:4
 
 先にお話しした仁子ちゃんのお姉さんのお墓は、第二会堂のそばにあります。自ら死期を察し、召される前に、詩篇二三篇のみことばを刻んだ十字架の墓石を注文し、その一年後に天に旅立ったのでした。
 彼女がそのように自らの死の備えをする姿に打たれて、教会の門をたたいた方もありました。あんなにも率直に自分の死を見つめられる行き方があるのかと。
 その彼女は、かつて妹の仁子ちゃんに信仰が宿った第二会堂が新築されることを、亡くなるまでずっと祈っていました。
 彼女の死後、一人の婦人が彼女の祈りに突き動かされて多額のお金をささげ、さらに教会員全員もそれに動かされるようにして、とうとう新第二会堂が建ったのです。
 新しくなったその会堂に足を踏み入れるたびに、冒頭のみことばを思い出し、死んでも語り、死んでも生きる信仰の力を知らされます。

№ 51 頑固なくらいに

「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。」ルツ1:16
 
 韓国の教会を訪問した時、韓国のサラリーマンの多くが出勤前に教会に寄って祈り、一日の働きを終え家に帰る前にも、教会に立ち寄って祈りをささげると聞きました。
 それを聞いた私たちの教会の一人の信徒は、さっそくそれにならって、出勤前の忙しい時間に、わざわざ会堂に行って祈り、どんなに遅くなっても帰宅前に教会に寄って祈りをささげるようになりました。
 その実践によって、職場においてどんなに大きな神の臨在と恵みとを体験するようになったかは、だれよりも本人が実感し、証ししているところです。
 ところで、この「わざわざ寄って」 というところが大切です。自宅でも祈れる、職場で祈っても会堂で祈っても同じこと、と割り切ってしまわない。
 早天祈祷会についてもいえると思いますが、頑固なくらいに、自分の信仰の型を神の御前で通すことも必要なのです。
 

№ 52 川崎病

「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろキリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。」Iペテロ4:1213
 
 次女が一歳半の時、川崎病になったことは話しました。てっきり公害病か何かで、自分たちとは無縁と決め込んでいたその病の宣告は、忙しい連日のクリスマス集会を乗り切った直後にもたらされました。
 突然の高熱、下痢、嘔吐、全身の発疹。やがて目が充血し、手足は水ぶくれのような症状、さらに舌にいちごの表面のようなぶつぶつができ、血がにじみ出てきました。
 わけもわからないまま病院に飛び込むと、病名の宣告とともに、「すでに肝臓に機能障害が出ています」との説明です。
 不安な年の瀬を家族バラバラで過ごすことになりました。
 私たちは厳しい試練に立て続けに襲われることもあります。しかし、それも主の御手にあることとして、受け止めなければならないのです。
 

№ 53  バイバイ

「それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」マタイ26:39
 
 重い川崎病の宣告を受けた次女は、一歳半なりに精一杯がんばって病と闘ったと思います。
 二、三週間にわたる四十度近い高熱、切れた唇からの出血によく耐えました。
 治療や点滴をほどこすお医者さん、看護婦さんが自分を傷つけ苦しめるものと映ったようです。白衣姿を見ると、唯一覚えた「バイバイ、 バイバイ」 ということばで恐怖と拒絶を表しました。
 それにもまして、そんな自分をいっこうに助けようともせず、遠く離れて立っている親の心が理解できずに苦しんだでしょう。
 十字架でひとり苦しまれ、父なる神にも見捨てられたキリスト。そんなひとり子を、おそらくは胸締めつけられる思いで見つめておられた父なる神。十字架の重みがひとしお身に染みます。
 

№ 54 痛みを分け合う

「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。」IIコリント11:29
 
 次女の罹病と同時に、長女は実家に預けられ、家内は遠くの病院にと、家族がバラバラの生活になりました。
 次女が入院して次の礼拝、すなわち一月一日の元旦礼拝の日、私は説教の途中で苦しむ子どもの姿が浮かんできて、涙がこみ上げ、語れなくなりました。
 その日のメッセージは、「見よ。わたしは新しい事をする」 というみことばから希望に満ちたものになるはずでしたが、自分自身、とてもそのような心境ではなかったのです。
 説教が中断されている間、教会員の方々が私と私の家族のために祈ってくださいました。その祈りに支えられ、私は気を取り直し、再びメッセージを続け、何とか最後まで語ることができたのでした。
 痛みを分け合い、支え合う兄弟姉妹あっての自分なのだと、改めて思い知らされたことでした。
 

№ 55 涙の谷を過ぎるとも

「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」詩篇126:5
 
 娘が川崎病になった頃、教会はビジョンを掲げて新たなる目標に向かって前進する、節目の年を迎えていました。私の心の中に「なぜ?」 という疑問がわき始めていました。なぜ、新しく前進しようとしてる矢先に、出鼻をくじくこのような出来事が起こったのだろうか。なぜ、このことを主はゆるされたのだろうか。
 苦しい船出となりました。涙から出発しなければなりませんでした。けれども今にして思えば、それは初めから主の深い摂理のうちにあったのです。
 子どもはおもちゃ売り場で、レールを走る電車の前に立ち止まります。子どもの視野には全体が見えないので、いつ急に目の前に電車が現れるのかと待ち構えています。しかし、親の視野には電車のコースが見通され、初めから、山あり谷ありトンネルありとわかっているのです。その時は突然でしたが、初めから、私たちには涙の谷が用意されていたのだと思います。
 

№ 56 感謝から出発

「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず・・・・・。」ローマ1:21
 
 健康のありがたみは、失ってみて初めてわかるものです。
 娘が病に倒れて、初めて、家族が共に暮らせることの幸い、皆が健康であることの恵みをかみしめました。
 いったいどうして私たち人間は、がんの宣告を受けては神をのろい、天災を見てはその責任を神に問おうとするのでしょうか。がんにかかる前、どれほど健康に対する感謝を神にささげていたでしょう。天災のニュースを聞かない、はるかに多くの平穏な日々に、それを神の恵みとして感謝する人々がどれほどいるでしょう。
 健康を失って神をのろうのではなく、まず健康な時に十分神に感謝しましょう。天災に遭って突然神を持ち出すのでなく、穏やかな日々に、それを神の恵みとして十分神に感謝しましょう。感謝から出発するなら、突然の試練に遭遇した時にも、必ず違った反応が生まれてきます。
 

№ 57 忍耐を通して

「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」ヘブル10:36
 
 私は神学校を卒業して二十五歳の時に、福島第一聖書バプテスト教会に就任しました。ここで学ばされたことは、「忍耐」 の一言に尽きます。特に最初の五年間は、ひたすらに忍耐しました。五十年近い教会の歴史があり、大部分の方が私より年上で信仰歴も長く、社会経験も豊富です。その中で初めての牧会にあたるとなれば、忍耐よりほかに手はないと思われました。
 どんな働きにせよ、忍耐をベースにして初めて信頼を得て、自分のスタイルを見つけ、やがては現状を改革していく可能性が開けるのではないかと思います。多くの場合、すでに成果が現れた後には、忍耐の影が薄れて、特別な方法でその位置に登り詰めたように錯覚しがちです。
 しかし主は、容易なルートではなく、忍耐という道を通して私たちを祝福されるのではないでしょうか。
 

№ 58 初心を忘れずに

「生まれたばかりの乳飲み子のように・・・・・。」Iペテロ2:2
 
 牧師となって初めての礼拝の前日、昔ながらの古い礼拝堂で、翌日のために「祝祷」 の練習をしたことを思い出します。
 「明日の礼拝から、祝祷も聖餐式も、またバプテスマ式、結婚式、葬式、すべてを正式な牧師としてお願いします」 と申し渡されて、にわかに緊張していました。祝祷と言われても、神学生の頃から見て知ってはいましたが、実際に自分が行う心構えがあったわけではないのです。すぐ、隣県の先輩牧師に電話をし、祝祷のことば、両手を上げる角度、心構えなどについて教えを請い、前日の土曜日の夜中に、ひとり手を出し、手を上げて、何度も何度も練習したのでした。明日の本番で、度忘れしないといいが・・・・・と思いつつ。
 あらゆることが新鮮で、緊張して、身を正して臨んでいたあの頃。肩に力が入り過ぎていたかもしれません。けれども、いつも初心を忘れずに主の御前で新鮮でありたいと思うのです。
 

№ 59 下積みの生活

「ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。」Iサムエル22:1
 
 ダビデには長い下積みの期間がありました。羊飼いだった少年の頃、すでに預言者サムエルによって油注ぎの儀式を受け、将来はイスラエルの王となることが告げられていたにもかかわらず、その後の彼の道程は厳しいものでした。
 ねたみのために、いつサウル王に殺害されてもおかしくないような苦境の連続の日々が待ち受けていたのです。巨人ゴリヤテを倒して脚光を浴びたのもつかの間、その後、長い間日の当たらないトンネルのような生活を送ることになります。
 しかし、この期間がダビデを育てました。王になるどころか暗殺されかねない状況下で、彼は自ら道を切り開くのではなく、神の時を信じて、神の約束の成就を待ち望みました。それゆえ、すべてを主にゆだねる生き方を身につけていったのです。このことは、教えられて身につくものではありません。下積みの生活にじっと身を置くことによってのみ、体得できるのだと思います。
 

№ 60 荒野

「サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。」I サムエル24:1
 
 以前イスラエルに行った時、ユダヤ教からキリスト教に改宗し、今は聖書の地理や考古学を研究しているという一人のユダヤ人が説明してくれました。
「ここはかつてダビデがサウル王から逃れて、隠れたと思われる荒野です。『荒野』 というヘブル語は、『ことば』 からきたと思われます」
 水もなく、動物も植物も生きられない苛酷な状況の荒野。けれども、この極限の状態でダビデは、神にのみ信頼すべきことを、特に神の「みことば」 にのみ信頼を置いて生きるべきことを学んでいったのではないか、とのことでした。
 人に頼らず、神にのみ拠りすがり、そのおことばがかならず成就することを信じて疑わず、ひたすらに待つ。
 この得がたい信仰の学課を習得するのに、荒野はダビデにとって最善の場所だったのでしょう。あなたにとっての荒野とは何でしょうか。

№ 61 神のゴーサイン

「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」Iサムエル26:9
 
 サウル王から逃げまどっていた、ダビデの長くつらい日々。しかしこの期間、きっと天の父はダビデがひたすらに神の時を信じて待ち、自らの身をゆだねるのを見つめておられたのだと思います。
 ダビデにとっての闘い・・・・・それはもちろん、命の危険という外的なものもあったでしょうが、同じくらい大きな闘いは、内的な、彼自身の心の中に起こっていたものだったと思われます。
 何度も、狂気のようなサウル王に手をかけて殺すチャンスが巡ってきました。そのつど、家来たちは「今こそ討ちましょう」 とアドバイスします。けれども、ひとりダビデだけは、他の声を静め、自らの内なる誘惑の声に打ち勝つ闘いを経験していたのです。
 それゆえに、神のゴーサインが出て、サウル王が退けられ、ダビデが王位に就いた後の祝福は大きかったのではないでしょうか。すべてのことに、神の時があるのです。
 

№ 62 備えをせよ

「ダビデとその部下はケイラに行き、ペリシテ人と戦い、彼らの家畜を連れ去り、ペリシテ人を打って大損害を与えた。こうしてダビデはケイラの住民を救った。」Iサムエル23:5
 
 何年もサウル王の前を逃れていたダビデは、無為な空白の期間を過ごしたように見えるかもしれません。
 けれども、彼は、ただ逃げ隠れしていたわけではありません。逃れた先でその土地の住民を助け、そこかしこで人々の信頼を勝ち得ていました。知ってか知らずか、将来に備え、いつ神のお約束どおり王の地位に就けられてもいいように地道な努力を積み上げていたのです。
 ここが、大切なところです。事実、後に突如サウル王が退けられ、ダビデが王位に就いた時も、国民の間に違和感はなく、すでに多くの人々からの評判を得ていたからです。
 転んでもただでは起きない。クリスチャンは死んでも一粒の麦となって証しをするといわれますが、神を信じる者の生涯は、後退しているようでも前進し、つぶされるように見えても実を結ぶのです。
 

№ 63 一歩退いて

「ナバルはダビデの家来たちに答えて言った。『ダビデとは、いったい何者だ』。」Iサムエル25:10
 
 以前イスラエル旅行をした際、聖書に記されている、頑迷で行状の悪いカレブ人ナバルの住んでいたと思われる土地を訪れました。
 彼はどうやら、自分が肥沃な土地で安隠とした生活を送っていたので、自分のしもべたちが荒野の厳しい最前線でどんなにダビデたち一行に救われ助けられる経験をしていたのかを、少しもわかっていなかったように思われます。
 恐るべきは、裸の王様。心の目が開かれず、自らの狭い了見がすなわち世界だと思い込んで生きることの愚かさを、当時の事件の結末は教えてくれます。
 ダビデに感謝する心もなく、助けられたら助け返すことも知らないナバルは、ついに神に打たれます。自らをすべてとする生き方の延長線上に待つ神の裁きを、度肝をぬくような形で、この事件は物語っているのです。まず人生の中心に神を認め、一歩退いてすべてを眺める、信仰者としてのゆとりをもちたいものです。
 

№ 64 訓練の時

「私の神。どうか、このことのために私を覚えていてください。」ネヘミヤ13:14
 
 ネヘミヤは五十二日間という驚くべき速さで、エルサレムの城壁の再建を果たしました。しかし、彼には内と外に人知れぬ闘いがあったようです。
 十五年前の四月、私は今の教会に就任しましたが、その翌月に臨時総会が開かれ、会堂建設の決議がなされました。初めての土地で、まだ牧会もままならない時でした。会堂建設といっても、どのような段取りで進め、だれに相談すればよいのか、資金はどうやって集めるのか、皆目見当がつきません。ただ、「来年建てる」ことだけが決議されたのです。
 会堂建設は、教会に独特の緊張を生みます。確かに逼迫した状況下での献金は、真剣な信仰の表れです。が、それが原因で心のゆとりをなくし、難しい問題を引き起こすこともあるのです。
 しかし、このことも私にとってはよい訓練の機会となりました。息が詰まるような緊迫した状況の連続は、すなわち忍耐しながら主を仰ぎ見るチャンスだったのです。
 

№ 65 祈りに打ち込め

「すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」エペソ6:18
 
 週に一回、たいていは土曜日に、教会員のために名前を挙げて必ず祈るようにしています。以前ある牧師から,水曜日には一切のことを離れて、教会員一人ひとりのためにとりなしの祈りをささげると聞いたのがきっかけです。
 これは何も珍しいことではなく、どこの牧師もしておられることだと思います。けれども、私にとってはなかなかの闘いだったのです。休まずにこれを続けていくことが・・・・・。
 牧師として当然のことを継続するのに、意識して自らの身を祈りの生活に押し出していく必要をいつも感じさせられました。
 放っておけば自然と祈り、暇さえあればとりなしの祈りを始める、というのであれば、どんなにかよいでしょう。けれども、少なくとも私に関するかぎり、放っておくと祈らなくなる自分の顔を神に向け、意図的に時間を割き、場所を聖別して、とりなしの祈りに打ち込むように仕向けていく必要を感じています。
 

№ 66 祈りのくさび

「絶えず祈りなさい。」Iテサロニケ5:17
 
 車を運転する前に、声を出して祈ること、これは私たちの教会では多くの教会員が実行しています。時々忘れたり、面倒になって省略しようとすると、後ろの座席の子どもたちに「お父さん、お祈り」 と諭されたりするから大変です。
 韓国のクリスチャンの多くは、決まって礼拝堂に入ると、ぺちゃくちゃおしゃべりをせずに、まずひとり静まって席に着き、ひとときの祈りをささげると聞きました。
 型やスタイルの問題ではない、と片付けることもできます。しかし、同時に型やスタイルも、大切な要素だとはいえないでしょうか。礼拝堂に入るとまず、隣人とおしゃべりを始めるのと、静まって神の前に出て祈ることから始めるのとでは、ずいぶん違うはずです。
 私たちは、強いて祈りに身を押し出さなければ、生活の中からどんどん祈りを省略してしまう自分の弱さを知っています。祈りの型をも大切にし、生活の中にさらに祈りのくさびを打ち込んでいきたいものです。
 

№ 67 熱心な祈り

「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」マタイ18:19
 
 私たちの教会の第二会堂が、集団赤痢で亡くなった小学生の女の子の信仰から発して出来上がったことを、先に記しました。
 後に、その信仰を引き継いだお姉さんは、妹がかつて通った教会堂が新築されて再び主の栄光が現れるようにと祈りました。それこそ昼も夜も、天に召されるまで熱心に祈ったのです。
 特に印象深いのは、古い第二会堂でもうひとりの婦人とともに、心を合わせて早天の祈りをささげ続けたことです。やがて、お姉さんが召されてから、会堂新築のために多額の献金がささげられました。それは、召されるその瞬間まで続けられた真摯な祈りに感動しての献金でした。祈りが天に通じたのです。
 心を一つにした熱心な祈りは、人の心を突き動かし、天の窓が開かれるのだということを教えられます。
 

№ 68 第一の使命

「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。」Iテモテ4:13
 
 神学校で「祈りとみことばによって牧会しなさい」 と教わりました。卒業し、牧会者として何の信念ももたない私は、このことのほかに頼るべきものを知らず、単純な理念ひとつを握りしめて福島の地へ赴任して来ました。
 会堂建設や人間関係の調整、組織作りなど、なすべきことはさまざまありましたが、基本的には祈りとみことばの説き明かしのために自分は来たのだと念じていました。
 当初の五年ぐらいは、日曜日の礼拝メッセージの準備に二十時間を確保することはなかなかできることではありません。また、時間をかけたからといって、よいメッセージになるわけでもないこともわかってきました。
 しかし、それにもかかわらずに、私にとって自分の第一の使命はどこにあるのかを明確に自覚するという意味で、ひとつ覚えの理念は有益だったのです。
 

№ 69 熟練した者に

「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」IIテモテ2:15
 
 振り返ってみると、牧師となった当初の私には、説教は型通りの準備をして、調べたことを全部語り尽くさないと損をする、という意識があったように思います。その時期も必要だったろうと思いますが、そこをベースに「熟練」を目指して努めるという点に欠けていました。
 五年を過ぎた頃から、原稿に頼らずに準備したものを暗記し、構成を組み替えたりするようになりました。さらに、語りっぱなしではなく、実際に聖霊に導かれて語った説教を後から書き留めて、説教ノートに付加しておくようにも導かれました。
 いまだに、「こんなメッセージしかできなくて信徒に申し訳ない」と叫びたくなったり、恥じ入って消えてしまいたいと思うことが多いのですが、主のあわれみと教会員の祈りによって、熟練を目指すように励まされ押し出されています。
 

№  70 一歩二歩前進

「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」ピリピ3:16
 
 私は、日曜日の説教と週報に掲載しているメッセージの原稿をストックするようにしています。
 牧会者となって最初の頃は、説教準備に追われ、原稿書きに四苦八苦して、いつも十分でないという思いの残る奉仕をしていました。その悔しさから私は、スケジュールに追われる生活から、スケジュールを追いかける生活へと切り替えたいと願ったのです。
 説教のストックも善し悪しだと思いますが、少なくとも私の場合、週末に向けて秒読みで追い立てられるような余裕のなさからは解放されました。
 同じ作業をして、同じ時間をかけるのでも、目前のものに比べて、少々先の準備をする場合には心に余裕が生じるものです。ですから、準備した説教を見直すゆとりもできてきました。
 ともかく、現在達しているところから、一歩でも二歩でも前進していきたいものです。

№ 71 立ち上がれ

「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。」イザヤ55:11
 
 私たちは日々みことばを読み、毎週メッセージに触れて、どの程度成長しているでしょうか。聞いても触れても感じないとするならば、少々考えものです。
 神のみことばが右から左に聞き流され、素通りして何ら影響を受けなくとも差し支えないものとなってはいないでしょうか。
 教会員の八十歳過ぎのおばあさんは、長年寝たきりの生活をしておられたのに、メッセージのテープを熱心に聞くうちにやがて立ち上がり、歩く練習を始め、ついには礼拝に出席できるようになりました。
 ある人は自分にできる奉仕を主にささげたいと願って、身近なことから始めるでしょうし、またある人はもっと積極的に、家庭集会を開きたいと思うかもしれません。人それぞれ、主に示されることは異なるでしょう。しかし、みことばを聞いたら心燃え、立ち上がって一歩前進するキリスト者になりたいものです。

 

№ 72 互いに祈って

「私たちのために祈ってください。」ヘブル13:18
 
 牧師は教会員を指導するために立てられた器ですが、実際には教会員が牧師を育てるという面があると思います。もちろん、「教えてやるんだ」 などと勘違いをしたら大変なことになりますが、もしも互いに謙遜になって仕え合うならば、牧師も信徒も成長し、教会にはさらなる可能性が開けることでしょう。
 若くして牧師となった私は、就任当時、何の経験も持ち合わせていませんでした。しかし、みことばを説き明かすため神に立てられた器であるという一点では、年輩の教会員が私を立てて認め、尊敬してくださいました。そのことが励みとなって、何とかここまで務めを果たすことができました。もしも、教会員が若輩の私に不平不満を並べていたらどうしたでしょう。とうの昔に私はつぶれていただろうと思うのです。
 牧師は信徒を愛して使命に全力投球し、信徒は牧師を立てて敬い支える。そして何よりも互いのために祈り合う。このような歯車のかみ合った教会形成をしたいものです。
 

№ 73 欠けはあっても

「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。」箴言14:4
 
教会といえども、人の集まりですから、集まれば当然何かしら問題は起こります。けれども、主はそこに集う一人ひとりを通してみわざをなそうとしておられるのです。
 ひとりの人間の発想と力には限界があります。牧師はメッセージを語りますが、立ち上がって具体的な発案をし、それを実行に移していくのは教会員の人たちなのです。
 主はみことばに触れて燃え上がり、賜物を用いようとする一人ひとりを組み合わせて、キリストのみからだなる教会を建て上げようとしておられるのです。
 まず、みことばに感動し、主からのチャレンジにこたえようとする原点から出発しましょう。そして自らに示される行動を主の御前に誓い、しばらくの祈りを積んだ後、思い切って具体的な一歩へと踏み出すのです。おそらく困難はあるでしょう。しかし、主は欠けのある私たちを用いてくださるのです。
 

№ 74 整えられて

「兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。」Iコリント3:1
 
 ひとくちに賜物を用いるといっても、簡単なことではありません。
 生来の感情や自我をむき出しにしたまま、各々が賜物や願いを主張したのでは、教会は混乱に陥ってしまうでしょう。
 パウロ派だのアポロ派だの、果てはキリスト派まであったというコリントの教会。それは、世の組織形成や分裂のプロセスと何ら変わりのない、キリスト教会とは思えないような混乱状態でした。
 このように弱い、醜い私たち人間は、ひとつのみことばの勧めの前に全員がへりくだり、整えられる必要があります。みことばを出発点にしていながら信仰抜きの思いのままの教会形成は、大変な危険をはらんでいるのです。
 まず、お互いがみことばに聞き、へりくだって、その上で共に用いていただこうではありませんか。
 

№ 75 教会形成のシステム

「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため・・・・・・・。」エペソ4:12
 
 キリストはなぜ、教会に牧師や伝道者をお立てになったのでしょうか。
 それは、彼らが自ら教会を形成するためにではなく、キリストに呼び集められた人々にみことばを説き、彼らを強め、整えるためであったことがわかります。ここでの「整える」とは、もともとは「強くする」という意味があったようです。
 牧師や伝道者によって、共通のみことばの教えを受けた教会員が、強められ、整えられてキリストによるひとつの指示系統に従って、不思議に調和した見事な教会形成に用いられていくのです。
 年齢、性別、生い立ち、社会的立場がそれぞれ異なるにもかかわらず、クリスチャンがひとつとなって、教会形成というわざに参画することができる。その後ろ姿に、人々はキリストの姿を見ることでしょう。まず、へりくだってみことばに教えられ、整え強められましょう。
 

№ 76 時を見分ける

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」伝道者3:1
 
 神に用いられる人々には、神の時を見分ける独特の感覚が必要です。昨日決断すればうまくいったことも、今日に延ばしたことで失敗したり、あと五年待てば神の時が満ちたのに、待ち切れずに熟さぬ実をもぎ取るようなことをして、後々まで悔やまれるということもあります。
 このような経験を、会堂建築の際にしました。第二会堂は、最初の献金があってから二年以上もひたすら時が満ちるのを待ち、その間、より賢い段取りを模索するように導かれました。第三会堂決議の際は、最初の献金があってから、間髪を入れずに即決するように導かれました。
 いずれも原理原則を超えて、生ける神ご自身が、それぞれの時と状況の中で「今がその時」と手取り足取りして私たちを導いてくださったのでした。
 主の細い御声を察知して、絶妙なる主の時を嗅ぎ分ける知恵をいただきたいと思います。
 

№ 77 いろいろな時期

「くずすのに時があり、建てるのに時がある。」伝道者3:3
 
 以前、礼拝後に年代ごとに分かれて聖書を学ぶ「分級」を取り入れ、うまくいかなかったことがあります。よその教会でうまくいったからといって、あまりに安易に導入したことも原因ですが、もうひとつには、時ではなかったのだと思います。
 あと二、三年が過ぎ、教会の雰囲気がまた少し変わり、教会員の考え方にも変化が見え始めた頃にスタートしたら、あるいはうまくいったかもしれません。
 何をやってもうまくいかず、ひたすら忍耐するしか手がない時もあります。そんな時は、じっと神の時が満ちるのを待つことです。
 別の時期には、教会学校のソフトボールチーム結成や礼拝時のネームタッグの導入など、次々と新しい事柄が容易に受け入れられたことがありました。そんな時は何をやってもうまくいくものです。キリストのからだである教会には、いろいろな時期があります。がっかりしないで、時には忍耐しながら、前進しましょう。
 

№ 78 地上での幻

「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」箴言29:18
 
 よく「幻なき民は滅びる」と言いますが、これは「地獄に行く」という意味ではありません。将来に希望やビジョンがないと、主に従って励んで律法を守る生活をするのが難しいという意味です。
 エジプトを脱出したイスラエルの民も、乳と蜜の流れる地への希望があったからこそ、荒野での苦しい旅を忍び、異教徒のような偶像や不品行に流される刹那的な生き方からも守られて、主の教えに励んで従っていくことができたのです。
 クリスチャンには、天国の希望があります。けれども同時に、この地上の旅路においても、主のご計画があるのです。それなのに、その希望がないかのように無為に生きることがあってはなりません。
 地上での私たちの歩みは、天国に入る前の待合室ではありません。主は一人ひとりに、またそれぞれの教会に期待し、具体的な幻を用意しておられます。
 

№ 79 ビジョンを掲げて

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・・・・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29:11
 
 七十年のバビロン捕囚の後、ユダヤ人は必ず解放される---この冒頭のみことばは神からの希望のメッセージでした。
 私たちの教会でも、ビジョンが示され、信仰によって文章化して公に掲げました。主は不思議な方法でアメリカ人宣教師を遣わされ、彼は尊い犠牲を払って福音の種を蒔いてくれた。主はこのような田舎の教会にも期待しておられる。ならば、南北八十キロに渡るこの地に福音を満たし、やがて海外にも宣教師を送り出して、その恵みにこたえようではないか、と。
 現在その幻に従って、広域伝道をさらに推し進めようと願い、祈っています。また、まもなく宣教師もアジアに派遣されて行く予定です。
 主が期待しておられると知り、ビジョンを掲げて前進することは、なんという恵みでしょう!
 

№ 80 新しい節目

「あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る。」箴言24:5
 
 止まっている自転車を動かすのは大変です。けれども、一度勢いがついて動き出した自転車をさらに加速させ、軌道修正するのは、案外楽なものです。
 教会も、スタートの時は理屈よりも、まず押し出して何とか教会の形を整え、流れを作るほかありません。
 しかし、もし動きが見え始めてきたならば、いつまでも成り行きに任せるのでなく、明確なひとつの方向に全体を引っ張ってまとめていく作業が必要となってきます。
 すなわち、その場その場で対応していく教会のあり方から、今度は教会自らが主導権を握り、主の示されるビジョンを高く掲げる。そして、そこに向かって段取りを組んで、一丸となって祈りを積みつつ前進していく。このような新しい節目を迎えるのではないでしょうか。新しい節目を迎えたなら、無我夢中で受け身の教会形成から、ビジョンを掲げて加速、前進する教会形成へと脱皮していきたいものです。

№ 81 使命の優先順位

「するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。」
出エジプト18:17
 
 この時モーセは、女性や子どもも合わせるとおそらく二百万人近くいたと思われるイスラエル民族を、ひとりその肩に負っていたにもかかわらず、異邦人のしゅうとイテロの唐突な助言を受け入れました。「地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」(民数12:2)彼でした。
 大事件から些細なもめごとに至るまで、すべてがモーセの肩にのしかかっていました。ですからモーセには、遠い将来を見通す余裕もなく、ひたすら目前の事柄の処理に忙殺されていたのです。いつか、どこかでこの悪循環に終止符を打たなければならないことは、明らかでした。
 モーセには、神から託された、モーセにしかできないことをなす必要がありました。彼はしゅうとの助言に従って、この後、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を任命し、少しずつその重荷を分かち、使命の優先順位を明確にしていくようになるのです。
 

№ 82 変革への挑戦

「あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。」出エジプト18:18
 
 二百万人近い人々があらゆる問題を抱えて、たった一人の人に押し寄せて来たとしたら、、どうなるでしょうか。
 イスラエルの民は皆、モーセでなければ満足しない。モーセもまた、事の大小にかかわらず、すべての問題を処理しようとする。やがてモーセの手が自分のところへ回ってこないことへの不満が噴き出す。モーセの中にも、積もる一方の仕事からくるプレッシャーが増大していく。そして民は、自転車操業のようなその場しのぎの営みに疲れ果て、長期的な旅の展望や備えもないまま、やがて自滅に向かう。
 これは、下手をすると教会にも起こりそうな出来事ではありませんか。幸い、モーセは勇断し、意識を変革して長旅にも耐え得るような組織づくりに着手しました。教会にも、勇断しなければ、にっちもさっちも身動きが取れなくなる場合があります。柔軟な心をもって、必要とあらば勇気を奮いましょう。
 

№ 83 思い切って

「モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした。」出エジプト18:24
 
 エジプトから民を率いて脱出し、さまざまな苦労をしてきたモーセ。そのモーセにイテロは変革を迫る助言をしました。「善し悪しは別にしても、もしも助言をするなら、自分も共に苦労してから言え」とでも言いたくなるような状況でした。けれども、モーセは思い切って決断し、これを行動に移したのです。
 私たちの場合にも、これまで半ば習慣となって続けてきたことを同じやり方を踏襲して継続したほうが、問題も抵抗も少なく、楽な場合が多いのではないでしょうか。薄々まずいと感じていても、変革に着手するその当人に率先してなるのは、たいそう勇気のいることです。
 しかし主は時に、私たちに対して新しい世界に旅立つことを求められます。長年腰を下ろし続けてきたあり方にピリオドを打って、思い切った改革に乗り出すことを求められるのです。主のチャレンジに信仰をもって応答しましょう。

№ 84 新しい世界

「モーセは、イスラエル全体の中から力のある人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民のかしらに任じた。」出エジプト18:25
 
 新しい体制がつくられて、ようやくモーセは解放されました。聖書には、どれほどの期間をかけて二百万人近くのイスラエル民族の問題を処理し、リードする組織づくりを成し終えたのか記されていませんが、おそらく相当の歳月を要したことでしょう。しかし、このことのおかげでモーセはそれまでの苦労に十分報いて余りある、解放感を実感することとなったのです。
 牧会五年目に、私は大きな壁にぶち当たったのですが、結果的には、このことが新しい教会の流れを生み、教会全体の体質を変化させる恵みの経験となりました。教会に有給の事務員が置かれ、家庭集会の持ち方も変化し、役員会のあり方や教会の雰囲気にも変化が訪れました。
 恐れずに立ち上がり、信仰をもってチャレンジするならば、主は必ず壁を壊し、新しい世界を開いてくださるのです。
 

№ 85 新しい皮袋

「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」マルコ2:22
 
 新しい皮袋と古い皮袋。そんなことが私たちの教会にもありました。少しずつ人が増え、活動も多岐にわたり始めた頃、古い教会観や、伝統的な教会運営が、もはや古い皮袋となりつつあったのです。
 牧師がすべての家庭集会を回らなければ満足しない伝統は、改革する必要がありました。組織の編成替えをし、新しく招かれた人を十分にフォローできる受け皿づくりへと乗り出す必要がありました。さもなければ、せっかくの新しい魂がむだになるか、教会がやがて大きな困難に直面するか、いずれかだったと思います。
 皮袋は変わらないのが尋常なのではなく、内なるいのちの変化に応じて変革されるのが正常なのです。主は、キリストのからだなる教会に、絶えず新しいいのちを注いでくださるのです。
 

№ 86 すべてをかけて

「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」エステル4:16
 
 この時、エステルは文字どおり死を覚悟して決断します。「ペルシヤの法律を侵してでも主に従うことが求められているのでしたら、私は従います」との彼女なりのギリギリの告白でした。そして事実、この後ユダヤ人救出のため命をかけて、彼女は分不相応の願い事を王に向かって直訴するのです。
 古い歴史のある教会で、さまざまな伝統や意識の改革に着手するように導かれた頃、しばしばこれと似た決意が私の内に起こりました。「死ななければならないのでしたら、死にます。」と、すべてをかけなければ、とても生半可な気持ちではやれない。これで牧師生命が終わろうとも、前進するほかない。そんな緊張に身の引き締まる思いをしたことを今でも思い出します。
 体質改善とか、長い間続けてきたことの改革ということには、多くの犠牲が伴います。しかし必要ならば、主を信じて、そこにすべてをかけて着手したいものです。
 

№ 87 死の影の谷

「たとい、死の影の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」詩篇22:4
 
 このみことばを、自ら十字架の墓石に刻んだ方があります。数年前、天に召されたご婦人です。
 私たちは実際、人生の途上で死の影の谷に遭遇することがあるでしょう。
 牧師になってまだ十五年ばかりですが、それでも幾度かは逃げたい、死んでしまったほうがよっぽど楽だと思ったことがあります。寝てはうなされ、起きては気がふさぎ、長い出口のないトンネルからこのまま出られないのではないかと本気で思い続けました。目の前の壁があまりに高く、それに比べて自らの力の弱さを意識する時に、ただただ恐怖の念に襲われました。
 しかし、詩篇二十三篇の作者ダビデに限らず、多くの牧師や伝道者、また信徒も同じような経験をしておられることを知りました。たとえ死の影の谷を歩くようなつらい経験があったとしても、主は私たちと共におられ、必ずその壁を越えさせてくださるのです。
 

№ 88 信仰・希望・愛

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」Iコリント12:12
 
 数年前、教会の納骨堂を新築しました。天国への希望を積極的に証しする、記念碑のような意味をもつこの建物は、大理石や鉄筋コンクリートを基礎に、屋根には銅版を使い、恒久的な素材を用いて生まれ変わりました。
 中には三枚のステンドグラスがはめ込まれています。一枚は、キリストの十字架から流れる血潮をデザインした「信仰」、一枚は地上から黄色い光が天国まで立ちのぼるイメージの「希望」。そして朝日の方角には、豊かな水の流れを表わす水色の「アガペーの愛」。この三枚が三角形の建物の三方に組み込まれています。
 クリスチャンは死者を大事にしないというあらぬ誤解が、特に田舎ではありますが、これを払拭するという目的ばかりではなく、天国の希望を証しするという積極的な意味をこの納骨堂はもっています。受難週が近づいています。キリストがお与えくださった三つのものを大切にしたいと思います。
 

№ 89 大切なもの

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」Iコリント12:12
 
 新約聖書の時代には、コリントの町はエーゲ海に面する貿易の盛んな港町として有名でした。
 「コリント人のようだ」と皮肉ったことばは、コリントが物質にあふれて快楽に走る退廃した町として知れわたっていたことを表しています。
 その町に立つ教会に、パウロは冒頭のことばを手紙に書いて突きつけたのです。信仰、希望、そして愛。この見えないものを度外視して、目に見える物の中でひた走る人生は、一見どんなに豊かであっても、死んでしまえばそれで終わりの空しいものなのだ、と。
 台湾、韓国、フィリピン・・・・・どこに行っても日本人があふれています。金をちらつかせて羽目をはずし、金持ちではあっても尊敬されない日本人の姿がそこここに見られます。
 「あなたはいかにも日本人らしい」と皮肉たっぷりに言われないように、本当に大切なものにこそ、目を注ぎたいものです。
 

№ 90 信仰

「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。」詩篇14:1
 
 新約聖書に記されている「信仰」ということばは、「真実」とも訳されます。
 信仰というと、特殊な人たちがもつものだと思う向きもあるでしょうが、これは本来、人として当然もつべきまことの道なのです。
 グリコ森永事件が起こった当時、チョコレートの売り上げは極端に減りました。安全かどうか、いちいち確かめないと食べられないと考えたのでしょう。ですが、今はどうでしょうか。だれも、毒が入っているのでは、などと疑いも調べもせずに信じて食べています。
 また、日航ジャンボジェット機が墜落した事故の直後にも、やはり乗客が減りました。けれども今は、いちいちパイロットについて調べはしないでも、信じて乗り、大切な命を預けています。
 造られた天地を見、与えられた命を確かめ、偉大なる創造主を認めて信じて生きることは、人として当然です。「神はいない」などと勘違いしないようにしましょう。

№ 91 天地創造のみわざ

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」詩篇19:1
 
 以前あるアメリカ人に、日本でしばしば誤解されて伝えられる科学者ガリレオ・ガリレイについて聞いたところ、「彼は熱心なクリスチャンだ」と答えて、敬意を表していました。同じ頃に活躍した天文学者ケプラーも、聖書をベースに宇宙の仕組みを解き明かしたといわれます。
 数学を基礎から積み重ねて、神が造られたこの宇宙の仕組みを解明し、神の偉大さを知らしめる。それはちょうど当時、ラテン語を基礎から学んでやがて聖書を説き明かしたのと同じように、神の栄光を現すことになる。神学者になろうか天文学者になろうかと迷ったケプラーは、どちらも同じひとりの神の栄光を現すのだと悟ったそうです。

 ノーベル賞を受賞した利根川進さんが帰国した際、記者団から「どうして日本で研究しないのか」と問われ、「やはり科学は欧米から生まれたのだ」と答えておられたのが印象的でした。この天地は神が造られたのです。
 

№ 91 設計士はだれ?

「初めに、神が天と地を創造した。」創世1:1
 
私たちの教会の礼拝堂は、設計にずいぶん力を注ぎました。高さは八メートル、合掌造りで左右のデザインはすべて非対称です。三角の屋根の片側にのみ天窓が付き、内部の十字架は正面に向かって左側に、ライトは右側にのみ横二列に・・・・・左右のすべてが微妙に異なっています。色は二色で、しっくいの白と本物の木の茶色です。
 少しわかる人は、この建物に入るとすぐに聞きます。「この建物は一体だれがデザインしたのですか」。なるほど、この辺りの地方の設計士ではないだろうというわけです。
 ここでもし、私がこう答えたとしたらどうでしょう。「地元の大工さんに、図面なしでとにかく安く造ってくれと依頼した結果、こうなったのです」。だれも信じないでしょう。
 造られた時、その現場に立ち会っていなくても、すでに造られた建物を見て、会ったことのない設計士を想像するのは理にかなったことです。
 造られた世界を見て、造り主をほめたたえましょう。
 

№ 93 神の臨在

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか』。」創世3:9
 
 すでに亡くなりましたが、かつてアポロ十五号に乗って月面へ降り立った宇宙飛行士ジム・アーウィンは、地球に帰還後、キリスト教の伝道者になりました。世界中を講演して回り、天地を造り宇宙を支配しておられる神がおられることを宣べ伝えました。
 一九七一年、スコット飛行士と月面に降り立った彼は不思議な体験をします。二人しかいないはずなのに、おかしい、だれかいる。確かにここに、どなたかおられる・・・・・。
 最初の人アダムとエバに神が共におられたように、月面に立つスコットと自分の傍らに神がおられることが、圧倒的臨在感をもってはっきりとわかったのです。
 地球に住み、身辺のことしか目につかない生活では感じ取れないことが、確かにあると思います。遠く地球から離れ、月面から美しいその星を眺めてみた時、あたかも神の座から神とともに見つめているように、神の存在が迫ってきたのだと思います。
 

№ 94 感動の世界

「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。」ヨブ41:5
 
 東大医学部を出て、聖書を隠れた主題にして小説を書き続けてこられた加賀乙彦氏が、数年前、洗礼を受けられました。
 遠藤周作氏から、「キリスト教の無免許運転をしている」と言い当てられたことがきっかけとなって、山ばかり眺めて登り始めることをしない求道生活に終止符を打ち、奥さんとともにカトリック教会で洗礼を受けられたのです。
 「その時から、私は変わった」と、新聞やテレビなどで人生の変化と喜びを証ししておられました。それまで理詰めで探求していた聖書の中から、今も生けるキリストの呼びかけが、理屈を超えて感動をもって直接心に響いてくるようになってきたと言うのです。その時の喜びが、今にもあふれ出てくるようでした。
 信仰は机上の世界ではありません。今も、生きて私たちの実生活のただ中で体験し得る世界なのです。
 

№ 95 一歩踏み出せ

「だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」マタイ7:8
 
 昔、ある宣教師が日本の高校生たちに信仰を次のように教えたそうです。
 おもむろにお金を取り出して見せ、「ほしい人はあげるから取りに来なさい」と言います。そんなうまい話に乗るものか、と多くの生徒が疑う中、一人が壇上に上がり、手を出したところ実際に手渡されました。しまった、と後悔しても後の祭り。
 信仰とはこのように、いつまでも疑い深くじっと立ち止まって考えていることではなくて、思い切ってその場から一歩踏み出し、神の御前に出ることだというわけです。なるほど、その瞬間から私たちは神の用意された救いと恵みを無償でいただき、実感する世界へと移されるのに違いありません。
 いつまでも立ち止まっているのをやめ、一歩踏み出しましょう。見て考える世界から、受け取る世界へと移るのです。神は分け隔てなく救いの恵みを与えようと待ちかまえておられるのですから。
 

№ 96 聖書を生きる

「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。」マタイ11:19
 
 聖書の学者ではあっても、その世界を本当の意味で生きているとは言い難いサドカイ派の人たちに対して、イエスはこのように言われました。なるほど聖書の世界とは、知識として頭の中にとどめおく世界ではなく、その上に生きて体験していく世界なのです。
 トルストイは『三人の隠者』の中で、一人のキリスト教の指導僧がある島で修行をしている三人の隠者に会いに行く場面を記しています。
 彼らは、主の祈りさえも知りません。覚えの悪い彼らに幾度も教えて後、帰りの船の中でその僧は不思議な光景に出会います。三人の隠者がペテロさながら海上を歩いて近づき
「主の祈りをもう一度教えてくれ」と頼み込むのです。当たり前のように神の力を体験して生きる彼らの前で、彼は自らの信仰を恥じ、「おまえさんがたこそ、わしら罪人のために祈ってください」と頭を下げます。
 私たちも、聖書の世界に生きる信徒となりたいものです。
 

№ 97 金太郎飴

「訓練と思って耐え忍びなさい。」ヘブル11:7
 
 私たちの教会堂を設計してくださったクルスチャンの設計士が、こう言われました。「この教会には、金太郎飴のような信者がいる」。どこを切っても同じキリストの模様が出てくる信仰者がいるというのです。
 その「金太郎飴」なる八十近いおばあさんは、入信の当初から厳しい主の訓練を受けたようです。田舎の檀家総代の長男の嫁であるため、キリスト教徒になることが許されず、即刻離縁して出て行くようにお姑さんから言い渡され、それ以来、半年間大家族の中で口をきいてもらえない孤独の生活を送ったそうです。けれども、そのことが彼女の信仰を筋金入りにする素晴らしい恵みの機会となりました。
 昔、長崎でキリスト教禁教の時代を終えて、再びやって来た宣教師は、そこかしこからキリシタンを名乗る日本人が現れたことに驚いたということです。厳しい主の訓練の中でも花を咲かせ、内側からにじみ出る強烈なキリストの香りを放ちたいものです。
 

№ 98 まことの希望

「この希望は失望に終わることがありません。」ローマ5:5
 
 数年前、教会員の息子さんが夜中に交通事故で天に召されました。雨の日、疲れて仕事から帰る途中でトラックに正面衝突し、即死でした。
 完成したばかりの教会の納骨堂を用いて、あわただしく教会葬が執り行われた後のことです。亡くなられた二十二歳の青年のおばあさんが、私に近寄ってこう問われました。
 「娘はかわいい息子を突然亡くしたのに、なぜあんなにもしっかりとして強いんだ」
 教会員であるそのご婦人に聞くと、不思議なことが起こったというのです。「息子の死の連絡が警察から入ってすぐ、讃美歌がオルゴールのように心の中で鳴り響き、葬儀が終わるまでずっと、繰り返し繰り返し鳴り続けて私を支えていた」と。
 まやかしの一時の希望が、まことしやかに安売りされている時代です。死による絶望に直面してなお、崩れることのないまことの希望を、聖書の中に見いだす者でありたいと思います。
 

№ 99 ここに愛が

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ルカ13:14
 
 受難週を迎えました。罪がわかると十字架の愛がわかるといわれますが、主が十字架でいのちを捨ててくださった救いの重みをかみしめたいと思います。
 柳田国男の『遠野物語』に、岩手県に伝わるこんな話が出てきます。孫四郎という息子が大鎌を手にして実母に斬りかかる。駆けつけた里の者に取り押さえられ、警察官に引き渡される息子を見て、滝のように血を流しながらその母は、「恨みを抱かずに私は死ぬから、孫四郎を許してください」と申し出る。
 自らを殺す者のために今際の息の中で許しを請う母の姿に感動し、「之を聞きて心を動かさぬ者は無かりき」と柳田国男は記しています。
 お腹を痛めて産んだわが子のためなら、あるいはそんな母もいるかもしれません。けれども、キリストは神に対し興味も関心も払ったことのない私たち人類のために、十字架上でいのちを捨て、罪の赦しを祈られたのです。ここに愛があるのです。
 

№ 100 十字架の重み

「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」イザヤ53:6
 
 芥川龍之介は、数多くの切支丹物を書きました。その中に『きりしとほろ上人伝』があります。
 シリヤの国の大男が真の主に仕えたいと願い、真の御主と伝え聞くキリストに会うため、ある翁の勧めに従って、河岸で旅人を向こう岸に運ぶ仕事をしながら出会いを待ちます。
 三年が過ぎたある大嵐の夜、一人の少年が向こう岸に運んでくれと申し出ます。こんな嵐の日にとは思いますが、いつものように肩に乗せて河の中頃にさしかかると、次第に肩が重くなり、耐え切れず沈むのではないかと死を覚悟するほどでした。
 やっとの思いで向こう岸にたどり着いた後、頭上に金光を帯びた先の少年の声を聞きます。「あなたは今夜、世界の苦しみを身に担ったキリストを負ったのだ」。その少年こそ、キリストだったのです。人として地上に生まれ、全人類の罪を身に負われた神のひとり子の御苦しみの一端を、この男は味わったのでした。

№ 101 十字架上の苦しみ

「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。」マルコ15:44
 
 ハーレイ著『聖書ハンドブック』(聖書図書刊行会)に、イエスさまの十字架の死の可能性の一つとして次のような説明が載っています。
 十字架の上で、イエスが一人の兵士に槍でわき腹を突き刺された時、血と水が出てきたとある(ヨハネ19:34)が、それは心臓破裂の可能性もあるのではないか。心臓破裂により血液が心臓の外壁に集まり、血餅と水のように見える血清とに分離した可能性もある、と。もしそうだとするなら、総督ピラトも信じないほど十字架刑にしては短い、六時間で壮絶な死を遂げられたことにも納得がいくというものです。
 マリヤから生まれ、打てば傷つく生身の肉体をもったお方が、全人類の罪を一身に負うということがどれほど苛酷な出来事であったか。内側からいのちが炸裂するかのようにして息を引き取られた、十字架上の重い御苦しみがしのばれます。
 

№ 102 罪がわかると・・・・・

「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」ローマ5:20
 
 「ちいろば先生」として有名な故・榎本保郎牧師は、かつて神学生の身でありながら、本当の意味で十字架がわからなかったそうです。
 ある時、そんな心を見透かされるようにある牧師から、「君はまだ罪がわかっていない。罪意識のない者は福音を理解することはできない」と言われました。
 そのことばに腹を立てながらも、小さい頃からの思い出せる限りの罪を具体的に書き出してみると、出るわ出るわ。分厚くなった自分の罪のリストの便箋を眺めながら、「私のこの罪のために、主が十字架についてくださったのだという実感がわき、感激の涙が目からあふれ出た。私はこの時ほど十字架を身近に感じたことはなかった」と、その時の感激を記しておられます。
 自分がいかに罪深いかがわかると、そのために十字架で苦しまれたキリストの救いの恵みが急に身近に感じられます。私たちの罪のために、キリストは苦しまれたのです。
 

№ 103 告白文

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。」ヨハネ8:11
 
 昨日お話しした榎本牧師は、三人の方に自分の罪の告白文を送ったそうです。どんなに小さいと思えることでも、伏せておきたいような不名誉なことも、思い出せる限り赤裸々に書き記して投函したのです。
 恐怖がやってきました。告白文を読んだ両親からは勘当を、神学校からは退学を、そして愛する女性からは絶交を言い渡されるのでは・・・・・。罪のもたらす報酬を、身に染みて感じたわけです。
 いよいよ神学校の先生から呼び出しがかかると、観念してまず祈りの時をもちました。すると、「子よ、なんじの罪は赦されたり。安らかに行け」との主の御声を聞くのです。一切の恐れを取り除く新しい赦しの力を得て、彼のその後の歩みが万事益となったことは言うまでもありません。十字架の贖いによる罪の赦しを、自分のこととして体験したのです。
 「今でもあの夜の感動をわすれることができない」と、榎本師は記しておられます。
 

№ 104 神の子だけが

「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった。』と言った。」マルコ15:39
 
 カトリック教徒が人口の85パーセントを占めるフィリピンでは、毎年受難日を迎える時期になると、実際に人を十字架に釘付ける儀式が行われ、多くの志願者が出るそうです。十字架に縛られて、両手両足に本物の釘を打ち付けるのだとか。
 私たちも、実際に十字架についてみることはできるでしょうが、はたしてそれで本当にキリストの御苦しみがわかるでしょうか。
 自分の罪のために苦しむことはできても、人の罪を身に負って贖われた主の御苦しみを味わい知ることは、だれにもできません。おぼれて沈みかけている人が、どうして他人を救うことができましょう。
 罪のない神のひとり子だけが、私たちの罪を一身に背負い、身代わりに苦しんで救うことができるのです。百人隊長が「この方はまことに神の子であった」と告白したとおりです。
 

№ 105 罪の清算

「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」イザヤ53:5
 
 三十二年も昔の幼女殺しを告白した殺人犯がいました。事件はとうの昔に時効のはずです。けれども三十二年前、水死体で溜め池から発見されて、事故死として処理された幼女を殺したのは、当時十代の少年だった自分だと告白したのです。
 すでに時効が成立しており、だれから追及されたわけでもないのに、いったいなぜ、自ら隠されている罪を告白したのでしょう。
 苦しいからです。清算されないままの罪を抱えつつ過ごした三十二年間が、どれほど罪責感にさいなまれ、恐怖に追い立てられ、平安のない日々であったかを、その後、堰を切ったように彼自身が告白しました。
 人は月日が経つと記憶が薄れ、罪も自然に忘れ去ってしまうのではありません。清算されないかぎり、だれも処理することができない、内に秘められた恐るべき罪。神はその罪を十字架のキリストを通して、完全に処罰してくださったのです。 
 

№ 106 イースターの喜び

「ここにはおられません。よみがえられたのです。」ルカ24:6
 
 日本では社会でも教会でも、クリスマスと比べるとなじみが薄いイースターを、見直して盛り上げようという試みが各地の教会でなされているようです。私たちの教会でも、クリスマス祝会と同じようにイースター祝会をもっています。
 かつてヨーロッパでは、受難週の期間は静まった生活をして、イースターの到来とともに一斉に明りをともしてキリストの復活をお祝いしたそうです。受難週には卵を食べず、イースターの日曜日に解禁となり、十字架や永遠のいのちの希望を表す赤や緑や金のイースターエッグが教会で配られた慣習は、今でもよく知られています。いずれにしても、復活の喜びを身体一杯で表現し、味わっているのです。
 日本の教会には、暗くて重苦しい十字架の死のイメージはあっても、その先に突き抜ける復活と希望のメッセージがないなどと言われないように、イースターを心から喜び祝いたいものです。
 

 107 空っぽの墓

「週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。」マルコ16:2
 
 イエスさまの墓に着いた三人の女性たちは、空っぽの墓と、キリストは復活したと伝える御使いと、ついによみがえられたキリストご自身に出会うのです。それは週の初めの日、つまり日曜日の早朝でした。
 なぜ私たちは日曜日に、キリストの死体のない十字架を掲げている教会で、毎週礼拝をささげるのでしょうか。それはキリストが預言どおりに、金曜日の十字架刑から数えて三日目の日曜日の早朝によみがえられたからにほかなりません。
 死んだままのキリストを救い主とあがめて、いったいどこにいのちがあるのでしょう。毎週日曜日に空っぽの墓を確認し、死の暗闇を敢然と打ち破ってよみがえられた、この方をあがめてこそ、初めていのちある礼拝となるのです。
 教会の十字架には、もはやキリストの死体をかたどった像はありません。よみがえって今も永遠のいのちの希望として輝き続けるこの方を、救い主としてあがめましょう。
 

№ 108 教会の出発点

「キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」Iコリント15:14
 
 今日、キリストの復活を証しする教会が全世界に存在している事実は、キリストがまさに復活されたということを物語っているといえないでしょうか。新約聖書も今日の全世界のキリスト教会も、すべては復活の事実から出発したからです。
 もしも、キリスト教会の出発をたたきつぶすつもりがあったなら、祭司長たちは、死後三日経っても五日経っても復活しないキリストの遺体を、人前にさらせばよかったのです。
 それができない彼らは苦し紛れに「夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った」(マタイ28:13)とまことしやかなデマを流したことが、聖書に記されています。
 小ざかしい一切の説明を排除して、私たちは聖書が昔からストレートに語るように、「キリストはまことによみがえりたまえり」と告白したいものです。
 

№ 109 腰抜けから勇者に

「その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。」Iコリント15:7
 
 キリストの死体をさらすことのできない祭司長たちが、苦し紛れに「弟子たちが死体を墓から盗んで行った」と言ったことは、前に記しました。
 ところで、あのペテロからトマスたちに至るまで、貝のように口を閉ざし、キリストの弟子であったことを否定する行動に走った彼らが、どんな勇気を振り絞れば、ローマの番兵の待つキリストの墓から死体を盗み出すことができたというのでしょうか。
 仮に、奇跡的にそれができたとしましょう。しかし、四日過ぎても一週間過ぎても息を吹き返さず、むなしく腐っていく死体を前にして、いったいどうしてキリストの虚偽の復活にいのちをかけられたというのでしょうか。
 事実、彼らのほとんどは、後に殉教しているのです。
 人は真実のためなら奮い立ち、いのちもかけるのです。腰抜けのようになった彼らが、こつ然と復活の証人に変えられたのは、その境目に復活の事実があったからこそです。
 

№ 110 キリスト仮死説

「そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。」マタイ27:66
 
 キリストは仮死状態だったにちがいないなどと考える人がいます。当時の十字架刑とその前に受けるむち打ちの刑が、どれほど苛酷なものかを調べれば、ピラトが念を入れて死の再確認をとったことや、十字架の上で死体のわき腹に槍を刺した事実を見るまでもなく、そのような説明が成り立たないことは、わかるはずです。
 万が一仮死状態であったとしても、虫の息の状態で、どうして内側から大きな石を動かせるというのでしょう。(マルコ16:3には、女たちの力では、その墓石を動かせなかったことが記されている)。仮にできたとしても、その上どうやってローマ兵の番する中を脱出できたでしょうか。不可能です。
 数々のあり得ない説明を駆使して、キリストの復活をつぶしにかかる者ではなく、復活の事実を認める者となりましょう。復活を認めて初めて説明のつく数多くの事実が、私たちを取り巻いているのですから。

№ 111 新しいいのち

「戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って『平安があなたがたにあるように。』と言われた。」ヨハネ10:16
 
 イエスさまが復活後どうなったかを、あまり考えたことのない方もいるようですが、イエスさまは、再び病気や事故や寿命などで死なれたわけではありません。生きたまま、新しい復活のからだをもって天に帰られたのです。
 このからだが二度と死を見ることのないまことのいのちであることを表すかのように、その間、実に多くの人々の前にご自分を現されました。(Iコリント15:6には五百人以上の人々に同時に現れたとある。)冒頭の箇所にも、不思議にも閉じられているはずの戸の中に突然、復活の主が現れたことが記されています。ヨハネ自身、このいのちとからだとを目撃したために、こうして書き記したわけです。
 私たちが望むのは、蘇生して再び朽ち果てていくむなしいいのちではありません。二度と死を見ることのない、まことのキリストの復活のいのちとからだなのです。
 

№ 112 駆けつけた女たち

「彼女たちは、『墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか』とみなで話し合っていた。」マルコ16:3
 
 それにもかかわらず、彼女たち(マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメ)はきリストが葬られた墓に急ぎました。弟子たちがイエスさまを見捨てた後、十字架上で果てていくイエスさまを最後まで見守ったのも彼女たちでした。それゆえに、復活の主は十二弟子たちよりもまず、この女性たちに復活のご自身を現され、その喜びを示されたのではないでしょうか。
 復活の主をお祝いするには、この信仰が大切です。そこに番兵がいようがいまいが、仮に墓石が自分たちの力で動かせないと予測できたとしても、それでも暗闇の中、イエスさまのところに一番で駆けつけたい一心で安息日が明けるのを待ってひた走る。一切の計算や、理屈を超えた信仰です。その信仰の延長線上に、思いもしなかった主との対面がありました。私たちも一歩踏み出しさえすれば、すぐ傍らで、今も生ける復活の主が待っておられることを知るのです。
 

№ 113  紙一重

「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」ヨハネ10:17
 
 イエスさまから、このように論されたのは十二弟子の一人、トマスです。
 トマスは、他の弟子たちから「私たちは主を見た」と聞かされても、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」(10:15)と答え、固く心を閉ざしていたのでした。目で見たなら信じてもいいように思うのですが、このトマスは手を差し入れなければ信じないとまで言い切ったのです。
 これは、積極的に「私は信じない」という立場に立つ不信仰の宣言にも見えます。けれども、そんな心の壁は、圧倒的な復活の主の臨在の前に、たちまちのうちについえ去りました。トマスは実際には見ただけで信じたのです。否、そこに主がおられるという事実に直面し、信じなかった時に組み立てた理屈の一切が瞬時にして崩れ去りました。信仰と不信仰は紙一重です。
 

№ 114 天国への希望

「それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3:16
 
 一足先にご主人を天に送られたHさんは、七十七歳になられました。現在、自らも病の中にある身ですが、彼女は天の御国への希望を確信して疑いません。そのわけは、ご主人が天に召される時の光景が目に焼きついているからです。
 亡くなる一年前に信仰をもったご主人は、「僕もイエスさまを信じているから大丈夫だ。心配するな」と言い残し、「さようならと言っておこうか」と別れのことばを告げてしばらくの後、眠るようにすっと天に召されたそうです。その光景があまりにも自然で、あたかもこちらの部屋から向こうの部屋に移されるかのごとく、この地上から天に移されたのだな、と確信させられる素晴らしい瞬間だったようでした。
 天に召される一年前だろうが、三十年前だろうが、キリストを信じ受け入れた者には、何の差別もなく、無条件で罪の赦しと永遠のいのちとが与えられるのです。
 

№ 115 死がいのちを

「女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。」ヨハネ16:11
 
 これはイエスさまが十字架につく直前の、弟子たちに対するいわば告別説教の一節です。新しいいのちを生み出すために、イエスさまがご自分のいのちをささげようとして、苦しみや悲しみを味わっておられる様子がうかがえます。確かに、新しいいのちを生み出すためには、産みの苦しみが必要なのです。
 私の住む福島県の海沿いの川には、毎年秋になると数年の歳月を経て大きく成長した鮭が、子を産むために戻って来ます。いや、死ぬためといったほうがよいかもしれません。新しいいのちを文字どおり生み出すために、自らのいのちを捨てる覚悟で川を上るのです。そのような光景は、いずれの世界でも感動的です。
 イエスさまはただ死ぬためにこの世に来られたのではなく、自らが死ぬことによって、新しいいのちを生み出すために来られたのです。
 

№ 116 夫婦の関係

「神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』」創世1:18
 
 アメリカの夫婦は二組に一組の割合で離婚すると聞きます。やがて日本でも、そんな日が来るのでしょう。
 悲しいかな大半の人々は、「好きだから結婚して、嫌いになったから別れる」「自分で見つけてきたのだから、別れるのも勝手」と思い込んでいます。離婚に至らなくても、互いに憎み合ったり、愛の完全に冷えきった家庭内離婚のような夫婦の関係が、なんと多いことでしょう。
 夫婦という単位は本来、神からの賜物です。人の定めではなく、神の定めによるものなのです。この点に目が開かれて、互いにまず感謝するところから始めなければなりません。最初に人間の側で配偶者を求めたのではなく、神の側で人の幸せのために、先回りするかのようにして素晴らしい夫婦の定めを備えられたのです。人はこの神に立ち返って、初めて、真の意味での夫婦の関係が成立するといえましょう。
 

№ 117 十字架こそ金字塔

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15:13
 
 かつて私の住む村の近くの町で殉職した消防署員のことが、ラジオで語られました。いつどんな状況で亡くなったのか、この町の人々は知りませんが、とにかく人命救助のため火中に自らの命を投げ打ったその方の死を、彼らは決して忘れないというのです。
 おぼれている人に岸辺から「助かりなさい」と言っても、何の意味があるでしょう。火事の最中に、遠くから「がんばって」と呼びかけてどれほどの意味があるでしょう。十字架を前にイエスさまが語られたように、最後には自らのいのちを投げ打ってこそ、初めて人を助けることができるのです。
 助けられた人が、命をかけて救ってくれた人の命を、いつまでも忘れないのは当然のことです。私たちのために死なれたイエスさまの十字架を、自らが救われた日としていつまでも記憶し、感謝し続けるのも、当然のことではないでしょうか。
 

№  118 神の期待

「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」エペソ1:4
 
 黙示録に登場する七つの教会の多くは、エペソ教会の伝道によって生まれたのではないかと言われます。
 テアテラやスミルナやフィラデルフィヤなどの教会です。エペソ教会には、単に地元での伝道と教会形成にとどまらない、大きな期待が寄せられていたのです。
 パウロは世界の基の置かれる前からの神の選びを主張していますが、果たして、当時のエペソ教会員たちが自分のこととしてこのような意識をもっていたかどうかは疑問です。アルテミス神殿があり、魔術が盛んなこの異教と偶像の町で、せいぜい信仰を失わないようにするのが精一杯だったかもしれません。
 しかし、確かに主はこの教会にただならぬ期待を寄せておられたのです。それゆえに、神はパウロやテモテやヨハネなど、名だたる牧会者を次々とこの教会に送り込まれたのではないでしょうか。
 

№  119 熱いまなざし

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」エペソ1:10
 
 長女が小学校一年の時でした。
 学校から持ち帰った朝顔を、それはそれは大切にいつくしんで育てました。朝、起きると朝顔のもとに走り、帰って来ると水をやり、日に当てたり家に取り込んだり。その喜びと期待が、小さな心一杯に広がっているのがわかりました。
 どんなに自分はつまらない者と自覚していたとしても、世界の置かれる前から選んでいたと主張される神が、私たちにいかほどの期待も寄せられていない、などということがあるでしょうか。私たちのちっぽけな自意識をはるかに超えて、神は私たちに期待し、注目していてくださるのです。
 異教と偶像の町エペソでは、信仰の道は困難だったかもしれません。日本でも、教会もクリスチャンもまだまだ少数派です。けれども数少ないからこそ、主は私たちに注目し、熱いまなざしを注いでいてくださることを覚えましょう。
 

№  110 熱い期待

「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」エペソ1:5
 
 私の住んでいる所は、車で五分も走るとすぐ海に出られます。
 ある日、家族で海辺を散歩した時のことでした。長女が一つの貝殻を拾い、それがひどく気に入ったようでしたが、「これ持ってて」と家内に預けて遊んでいました。ところが帰り際、家内はポケットから取り出そうとして、その貝殻がないことに気づきました。
 どうせただで拾ったものです。似たようなものはいくらでも落ちている、と親は考えましたが、ついに長女は納得せず、一日中機嫌を損ねていました。
 親の目にどう映ろうと、彼女にとっては、自分で選んだ二つとない特別な貝殻だったわけです。
 私たちも、「なぜこんな私を・・・・・」と考えることがあります。けれども神は、二人といない神の民として私たちを取り上げ、磨き、大いなる期待を寄せていてくださるのです。なぜだか理由はわからなくても、熱い期待は感じるのです。

№ 121 実を結べ

「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。」イザヤ5:1
 
 聖書にたびたび登場するぶどう畑。イスラエルを訪れた時に、ユダヤ人の口から畑作りに多くの苦労があると聞きました。
 テラロッサと呼ばれる良質の土に植える際、まずはゴロゴロした岩や石を取り除きます。次にその石で傾斜伝いに石垣を張り巡らし、やがていばらやあざみを生い茂らせて獣や盗人の侵入を防ぎます。さらには、残りの岩石で見張りやぐらをそこかしこに立てて、大切な収穫期には二十四時間体制で見張るのだそうです。
 そこまで汗水を流して、初めて植えられるぶどうの木。まことのぶどうの木であられる救い主キリストも、何千年来の旧約の歴史の土壌が耕され、準備が整った後に、時満ちてお生まれになりました。
 私たちはその救いの幹に接ぎ木するかたちで救われました。旧約聖書からの過去何千年の霊的遺産を無償で吸収し立てられている私たちには、実りが期待されているのです。
 

№ 122  期待にこたえて

「彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。」イザヤ5:2
 
 中日ドラゴンズの中村捕手が日の目を見ない頃、星野監督に「おまえを日本一の捕手にしてやる」と言われたそうです。当時の彼の、どこにどれだけの可能性を見いだしたのかわかりませんが、とにかく彼は燃えました。
 仮にも、日本一の捕手にすると監督が言ってくれた。監督は、そこまで自分に期待してくれている---。彼はどの選手よりも早くグラウンドに行き、どの選手よりも遅くまで練習しました。今では、その熱心さと、どんな怪我でも這い上がってくる闘志は有名です。
 だれからも期待されていないと思えば、やる気をなくすのは当然ですが、大きく期待されていると知ったら、奮闘せずにいられないのもうなずけます。神は私たちのうちに可能性を見いだし、熱く期待しておられるのです。神の祝福を感じて立ち上がりましょう。
 

№ 123 来て、見てください

「女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。『来て、見てください』。」ヨハネ4:28, 29
 
 私たちの教会には、多くの教会にあるよう水曜祈祷会がありません。田舎なのでバスや電車などの交通の便が悪く、遠くの村や町から集まるのが難しいことがその一因です。その代わりに、町や村々で地区集会(家庭集会)や地区婦人祈祷会が毎週十ヶ所から十五ヶ所で開かれています。
 ある時、その一つの集会にふだん来られない方が出席されました。どうして来られたのか尋ねますと、八十歳を過ぎた身体の弱いおばあさんが、健康な人の足で歩いて十五分の距離を、一時間以上かけて道々腰を下ろし休みながら歩いてやって来て、「今晩おいでください」と誘ったのだというのです。なるほど、そこまでされては行かないわけにはいきません。さすがに帰りは、車で家までお送りしたとのことでした。
 私たちもわざわざ足を運んで、「来て、見てください」とキリストのもとにお誘いする者でありたいと思います。
 

№ 124 一致結束

「キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し・・・・。」エペソ4:12, 13
 
 「建て上げる」とは建築用語です。土台から始まって、大工さんから電気、内装屋さんと多くの種類の技術者たちの手を介して初めて一つの建物が完成します。
 もしも屋根をふく人や電気工事をする人が、バラバラに勝手な考えでやり始めたら、大変なことになります。だから「一致」が必要なのです。
 多くの教会で分裂したとか、目と鼻の先に別の看板を掲げて教会を開いたといった話を聞きます。各々に複雑な事情があり、よほどのことがあったのでしょう。けれども、ただでさえ小さな一つの教会が分裂して、最終的に喜ぶのは他のだれでもない、サタンなのです。私たちは、「また一つ、地上の教会を骨抜きにした」といって彼らを喜ばせてはなりません。一致結束して、教会の中心は見えないかしらであり、設計士でもあるキリストなのだと、証ししたいものです。
 

№ 125 おとなになって

「完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」エペソ4:13
 
 口語訳聖書(日本聖書協会)は、キリストの「身たけ」を「徳の高さ」と訳しています。教会は、そのからだを構成する一人びとりが、目標であるキリストの「身たけ」すなわち「徳の高さ」を目指してこそ初めてキリストの教会なのです。
 教会は単に目的を一つにして仕事をする集団ではありません。その営みの一切を通して、彼らを生かし、彼らのうちに働くキリストをあぶり出しの絵のように映し出してこそ初めて真の教会なのです。
 キリストは不完全な私たちを通してもご自身を現そうとしておられます。性別や年齢、考え方や生い立ちも違うはずの私たちが、一つキリストの御名のもとに集まり、不思議に一致し、キリストの香りを放ち始める時、人々ははっきりと教会の営みの背景におられる生けるキリストの姿を見るのです。自分勝手にふるまう幼子のような姿から脱却して、私たちもおとなのクリスチャンを目指しましょう。
 

№ 126 厳しい旅路

「もはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく・・・・。」エペソ4:14
 
 なぜ、いつまでも子どものクリスチャンであってはいけないのでしょうか。それは、クリスチャンを取り巻く状況は厳しく、命取りになる危険さえあったからです。
 実際エペソの町にはアルテミスの神殿があって、クリスチャンといえども魔術から足を洗い切れずに再び悔い改めを迫られたり、異教の地ゆえ、キリスト教会に対する大迫害も起こる町だったのです(使徒19章)。
 狼の中の羊です。のんびり構えて、自然と天の御国にたどり着く順風の船旅とは違います。ここでいう「悪巧み」とは「立方体」からきたことばで、もともとはサイコロ転がしのペテンを言ったようですが、いつまでも子どもでいては、まんまとだまされ、最後は波にもてあそばれるというのでしょう。
 地上の旅路が厳しければ厳しいほど、私たちは大人のクリスチャンを目指したいと思います。
 

№ 127 越前水仙

「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」ヤコブ1:2, 3
 
 NHKニュースで越前水仙が紹介されていました。厳しい日本海の岩肌で潮風にもまれながら、どんな温室でも育たない、二倍三倍もの強烈な香りを放つ水仙だということでした。そして、そこでしか育たない貴重な花を、危険を覚悟で摘んでいる人の姿が映し出されていました。
 厳しい自然環境の中でしか育たない、独特の強烈な越前水仙の香り。信仰者も、二重苦三重苦のような厳しく苦しい状況に追い込まれてこそ、信仰の底力が発揮できるのです。私たちに植えつけられた信仰が、こんなにも力強いものであったのかと改めて見直すことのできるチャンス到来です。
 厳しい向かい風や大洪水、また大嵐の日々の中でも、これまでの二倍三倍も強い、キリストの香りを放つキリスト者となろうではありませんか。
 

№ 128 試練の中で

「燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。」Iペテロ4:12, 13
 
 以前、私たちの教会に来ておられた台湾の方から、現在の李登輝総統は尊敬すべき熱心なクリスチャンだと聞きました。
 確かに、著書『愛と信仰』(早稲田出版)を読むと、若い頃、洗礼を受ける前夜に、夢の中で将来伝道者になるようにとの示しを受けながらも果たせないでいることへの心残りなど、神への真摯な姿勢が随所ににじみ出ています。
 とりわけ目をひいたのは、ひとり息子をがんで亡くした時の話です。深い悲しみの中でも、天国での再会を信じ、信仰によって乗り越え、公務を全うしていくその姿。
 また、台北市長時代には、ダム決壊の危機の中で必死に祈り、台風の進路までも神が変えてくださったという証しが記されています。つぶされて当然と思われる数多くの状況下でも、見事に信仰の花を咲かせていることを知りました。
 

№ 129 涙の祈り

「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。」Iサムエル1:10
 
 涙の祈りをささげても何も起こらない、などということがあるでしょうか。そんなはずがありません。
 士師の時代とダビデ王からキリストの王国にまで続く節目の人物、サムエルは、母親ハンナの涙の祈りのうちに生まれた神の器でした。
 ハンナの状況は複雑でした。一つ屋根の下、一人の夫に二人の妻がいました。しかも、ハンナは不妊であるのに対し、もう一方の妻ペニンナは子宝に恵まれているのをいいことに、これ見よがしに意地の悪いいやがらせをハンナにしてくるのです。ハンナの女性としてのプライドは傷だらけでした。
 逃げ場のない袋小路のような所で生きる苦しみの中で、彼女は涙の祈りをささげ、やがてあの偉大なサムエルが誕生するのです。苦しみは涙の祈りを生みます。そして芯の強い、不退転の決意を秘めた祈りは、やがて必ずや偉大な神のみわざを呼び起こすのです。
 

№ 130 献身の信仰

「それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」Iサムエル1:28
 
 サムエルのサムエルたるゆえんは、少年の頃から神の御声を聞き、どんな時にも神の御前に出て神の側に立つ、きっぱりとした献身の信仰にありました。
 後にイスラエル民族がサムエルとその子を退けて新しく王制を求めた時にも、感情的にならずに神の声に聞き従って、その道筋を自ら整えていく懐の深さがありました。
 そのような信仰は、母ハンナから譲り受けたものでした。不妊であったハンナは、もし、男の子が与えられたなら、その子の一生を主にささげるとの誓願の祈りをしたのです。
 ようやく与えられたこどもでした。しかし彼女は、神との約束を果たして、最初の誓約通りナジル人として(1:11)、一頭の雄牛のはん祭とともに献身の告白をもって(1:25)サムエルを主にささげ、手放したのです。その子が、早くから特別な主の器として用いられていくのもうなずけます。

№ 131 神の器を

「主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。」Iサムエル1・11
 
 フラー神学校の教授フリントン博士は、「自分が今このようにして用いられているのは、自分の知らないところで二十年以上も自分の献身のために祈り続けてくれた母の祈りがあったからだ」と話しておられました。
 ちょうどこのみことばのハンナのように、幼少の頃の博士を神にささげ続けておられたそうです。
 アブラハムも、晩年に与えられたひとり息子イサクをモリヤの地で神にささげました。
 神の手に一度明け渡された者の生涯は、確かに違います。神の手にゆだねられた者の生涯には、神ご自身が責任をもち、神の器としてその時代の中で特別に用いられるのです。
 時代は神の器を必要としています。そして私たちには、次の時代の神の器を献身の信仰をもって生み出す責任があるのです。
 

№ 132 時代に生きる

「一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。」Iサムエル1・16  
 
 「一方」とあるのは、その時代を指しています。暗く希望のない時代でした。
 祭司エリは年老いて、その息子たちといえば、主を恐れず不品行な生活をしていました。そんな時代にサムエルは置かれ、めきめきと頭角を現しつつあったのです。時代が新しい神の器を要求していたともいえましょう。
 ヨセフは大きな飢饉が迫る中、一歩先にエジプトに送られ、父ヤコブとその一家を救うのみならず、やがてイスラエル民族のエジプト脱出という神のみわざに通じる要となる時代に置かれて用いられました。
 エステルも激動の時代に捕囚の憂き目に会い、養父に育てられましたが、ついには当時の異国ペルシヤ帝国下で王妃としてユダヤ民族を救う役割を果たしました。
 時代は神の器を要求し、神の器はその時代の中で用いられます。私たちはこの時代のどのような場面に、またどんな役割で神のみわざに参画するよう導かれているのでしょうか。
 

№ 133 徹底して従う

「主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、『サムエル、サムエル。』と呼ばれた。サムエルは、『お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げた。」Iサムエル3:10
 
 夜中に、少年サムエルは主に三度呼ばれ、四度目にみことばを示されました。暗く神との交流が途絶えた時代、主はサムエルを個人的に呼ばれ、サムエルはまず主にこたえ従うことを学んでいく必要があったのです。
 神に用いられる人は、まずこの点を徹底して身につける必要があります。
 ダビデは下積みの時代、荒野をさまよいながら、神に拠りすがることを体得しました。ペテロは主を三度否みましたが、後には三度「あなたはわたしを愛しますか」と復活の主に問われ、命を賭してもキリストに従う表明へと導かれました。
 また、何よりキリストご自身が、公の生涯の直前には荒野で三種類の激しい誘惑を受けながらも、また十字架の直前には、ゲツセマネの園で苦しみながらも、徹底して主のみこころに従う決意を表明されたのです。
 

№ 134 暗唱聖句

「あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」申命6:7
 
 私たちの教会に、ちょっと珍しい方がおられます。このご婦人、Wさんはとにかくよく聖書の暗記をなさるのです。1節1節ではありません。1章ずつ丸ごと、たとえば詩篇1篇から3篇までといった具合です。しかも、「です」「ます」に至るまで、完璧なのです。10分や10分は朝飯前、おそらく1時間1時間でも、まるで朗読しているかのようにすらすらと暗唱されるのです。
 彼女は、伝道師でも牧師夫人でもありません。信仰歴も、バプテスマを受けてまだ数年ですし、何か特別な教育を受けたわけでもありません。年齢も、決して若いとはいえないのです。
 全く頭が下がります。私など牧師とはいっても、暗唱聖句ではまるでかないません。神学校を出たか否かの問題ではありません。昼も夜もみことばを慕い、口ずさむか否かの違いなのです。
 

№  135 聖書の味わい

「まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。」申命30:14
 
 ある牧師が、「聖書がどんなに難しいといっても、日本語に訳されているのだし、仏教のお経などと比べたらはるかに理解しやすい」と話しておられました。
 先にご紹介したWさんも、別段聖書の学びをしたわけでもないのに、みことばそのものを何度も何度も反復し、一語一語をかんで含むようにして味わい、自分のものとしておられるのです。
 毎晩、必ず一回はこれまで暗記したところを繰り返すのだそうです。さらに新しくチャレンジするみことばを、朝に夜に唱え、紙に書き写しては繰り返し繰り返し唱えて心の中に刻み込むそうです。すると、みことばそのもののもつ感動が心に満ちて、暗唱聖句の醍醐味を十二分に味わい知るのだとか。
 聖書の近辺や、聖書に関する学びからは味わえない、聖書そのものの味わいが、暗唱聖句にはあるのです。
 

№ 136 真摯な姿勢

「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。・・・・・これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」申命6:6~8
 
 私たちの教会では、1ヶ月先の礼拝プログラムをあらかじめ印刷して、教会員に配布しています。ですからある方は、大切な礼拝のために、予告されている聖書の箇所を読み、讃美歌を賛美してから礼拝に来られます。
 ある時、ひとりの方が、「次週の礼拝メッセージの聖書箇所を、暗唱して礼拝に臨むようにしました。すると、同じメッセージを聞いても、前よりも1倍も3倍もの感動を受けるようになりました」と打ち明けてくれました。
 聖書箇所といっても、1節や1節ではありません。1段落、時には1章にも及びます。私はなんと幸いな牧師でしょう!
 何の準備もせずに、礼拝に出席することのないようにしましょう。みことばに対する真摯な姿勢が、みことばからくる感動を広げるのですから。
 

№ 137 逆境の中でも

「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。」IIコリント4:8
 
 コンクリートのすきまに割って入るようにして咲く草花を見て、思わず感動したことはないでしょうか。こんなところでは生きられないだろうと思われるような場所で、それでも精一杯芽を出し花を咲かせて、命の証明をしている草花たち。
 いつも見守られ、世話をされながら咲く温室の植物も美しいですが、だれにも注目されない場所で、多くの逆境を跳ね返すようにして生きている雑草には独特の味わいがあると思います。
 日本では、クリスチャンとして存在するというだけでいろいろと困難があることでしょう。まして、旗色を鮮明にして積極的に伝道するとなると、相当に強い風当たりがあります。
 けれども私たちは、そこでキリスト者としての花を咲かせましょう。そんな状況下でこそ、強烈なキリストの香りを放ちたいのです。
 

№ 138 逆風を突いて

「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」IIコリント4:16
 
 強烈な風の吹くある日、なにげなく空を見ていましたら、強風にあおられて宙を舞うゴミやビニール袋やらに混じって、逆風に突進して進もうとしている1羽の鳥が目に入りました。 
 猛烈な嵐の中を、それでも流されずに前進を試みています。とはいうものの、実際にはほとんど止まっているも同然に見えました。進もうとしても進まない、後退せずにその場にとどまっているのが精一杯といったところでした。
 鳥のこととはいえ、それは感動的な光景でした。有無を言わせずすべてのものをなぎ倒し、従わせていく大きな力に抵抗して果敢に闘いを挑む姿は、どんな時にも感動を与えます。
 私たちが少数でありながらも立ち上がり、逆境を跳ね返して天の御国を目指すならば、その姿はきっと神の目には尊いのに違いありません。
 

№ 139 真の敵はだれか

「キリストによって、からだ全体は、1つ1つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」エペソ4:16
 
 「教会が分裂して喜ぶのはだれか。サタンだ」とある方が言われました。地上のキリストの最前線基地をまた1つ骨抜きにした、と言って喜ぶのは、確かにサタンです。
 ところが、私たちはこの当たり前のことを、1度糸が絡み始め、教会内の問題が膨張し始めると、悪魔の目つぶしにでもあったかのようにして、しばしば見失ってしまうのです。1つの教会の中で、お互いが敵であるかのように錯覚して争い、ついには地上の灯台であるはずの教会が、力を失って骨抜きの状態となっていく・・・・・。こんな時、喜ぶのはサタン、悲しむのは父なる神です。
 サタンの術中にはまってはいけません。私たちは真の敵がだれなのかを見極め、地上にキリストのからだなる教会を愛のうちに力強く建て上げたいものです。
 

№ 140 教会の証し

「神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」エペソ1:11
 
 牧師になりたての頃、ある電話を受けましたら、受話器からキリスト教会を罵倒する声が響いてきました。「どこのキリスト教会も力がなく、情けないな。昔から変わり映えもせずに、同じ建物で同じメンバーでいったい何をやっているんだ!」 
 名を名乗らない不遜な声には、初めから敵意があらわでした。
 その時、私は決意したのです。そんなことを言わせておいてはいけない。そのために、私はこの土地の教会に遣わされてきたのだ。「なるほど教会にはキリストがおられる。そしてそのキリストのうちにはいのちがある」と、この土地の人々の目にはっきりとわかる形で証しを立てていく使命があるのだ、と。
 キリストにいのちがないなどと言わせてはなりません。逆に私たちは、「彼にこそいのちがある」と、キリストの教会を通して力強く証ししていきたいと思います。 

№ 141 目標にジャンプ

「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、務め励みなさい。」IIテモテ1:15
 
 神学校を卒業して間もない頃の私は、牧師として特に熟練した説教者になりたいと、ずいぶん背伸びをしたように思います。とりわけ年4回の伝道集会と聖書学校には、著名な先生方をお招きして、すばらしいメッセージを語っていただきました。
 そして、私にとってのメッセージの訓練の時は、いつもその翌週にやってきました。最高の説教を味わった教会員を前にして、その直後にいかにも見劣りする私のメッセージを語らなければならないのです。
 けれどもその格差からくるプレッシャーがバネとなって、少なくともスピリットと気迫だけはもつようにと、主に導かれてきたように思います。
 目標を目指してジャンプしてみましょう。たとえ届かなくても、少なくともスピリットだけは養われたいのです。何とかして、主がここまで来なさいとおっしゃるレベルまで前進したいのです。
 

№ 141 足跡は重く

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」ヘブル4:15
 
 理屈っぽく頭から入る話は人を動かさないが、心にグッと迫る話は、人を突き動かすと言われます。聖書がいつの時代も世界中の人々の心に響くのは、きっとそれが理屈の世界ではなくて、血の通った人間味あふれる感動の世界だからでしょう。
 神が天から私たちを眺め下ろさず、ひとり子としてこの地上の世界に、私たちの傍らに、割って入るようにして来られたということは、なんという感動でしょうか。切れば血が流れる生身の体をもつ人として、この地上を歩まれたという事実そのものが、理屈を越えて感動なのです。
 そのイェスさまが発せられた一言一言が、頭にではなく、心に入って私たちを突き動かし、生き方を変えてしまうのは、考えてみれば当然といえましょう。神が救い主となってこの地上を歩まれた足跡は、ずっしりと重いのです。
 

№ 143  とりなしの祈り

「私は祈っています。」ピリピ1:9
 
 開拓二年目で六十名近い礼拝に達している教会のY牧師にお会いしました。「別に特別のことはしていない」とおっしゃる先生の中に、私は祝福の秘訣を見る思いがしました。その一つは、とりなしの祈りです。
 Y先生は一週間に三回、全教会員のために名前を挙げて祈っておられるのです。週に三回も、牧師に祈られる教会の信徒は幸せだと思いました。
 私も週に一度は教会員とその家族のために名前を挙げて祈りますが、それさえ、継続するにはさまざまな闘いをおぼえます。週に三回、つまりほぼ二日に一回の割合で教会員全員のためにとりなしの祈りをささげ続けるとは、なんと尊い働きでしょうか。
 かつて投獄中のパウロは、愛するピリピ教会員の一人ひとりの顔を思い浮かべながら、祈りを積み、その結果、「私は祈っています」と言い切ることができました。私たちも、とりなしの祈りにおいてパウロに負けないくらいの熱心さを保ちたいものです。
 

№ 144 パウロの遺言

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」IIテモテ4:1
 
 先にお話ししたY牧師から、こんなことを聞きました。「神さまは、恵みのうちに毎週の礼拝に不思議なほど新しい人を送ってくださった。ところが、ある時、トラクト配布をやめた途端、新来会者が途絶えてしまった」。
 トラクト配布の努力が、直接の成果を生むというのではありません。実際にトラクトを手にした人が、次の礼拝に来ていたわけではないのです。けれども、気をゆるめずにたゆみなく伝道しなさいと主が教えてくださったというわけです。
 確かに、主は私たちを励ましておられます。棚ボタ式ではありませんが、いつしか宣教のスピリットを失い、あぐらをかいて、来る人を待つような落とし穴に陥ることがないように気をつけたいものです。
 時が良くても悪くても、福音を宣べ伝えなさいーーパウロが処刑前に書いたと思われる獄中からの絶筆の一節は、私たちに対する遺言でもあるのです。
 

№ 145 腰を落ち着けて

「それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。『シモン。眠っているのか。1時間でも目をさましていることができなかったのか』。」マルコ14:37
 
 1日3時間の祈りに挑戦し始めた、という牧師にお会いしたことがあります。その結果、どんなに豊かな霊の世界の恵みを受け取られたかは、いちいち書き記すまでもないと思います。
 もちろん、祈りは時間の長短で測るものではありませんが、やはり時間も無視できないと思うのです。ちょこちょこっと祈っては、主の御前を通り過ぎるような祈りではなく、じっくりと腰を下ろし、熱く深く主と交わるような長い祈りも必要です。
 このみことばは、十字架を前にしたイエスさまの約1時間の祈りの間に、ペテロたちが眠ってしまったという場面です。この後、合計約3時間は続いたと思われるイエスさまの祈りに、再度彼らがついていけなかったのも想像できます。
 主の御前で、じっくりと腰を落ち着けて祈ろうではありませんか。
 

№ 146 父の厳しさ

「もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。」ヘブル11:8
 
 ニュースで、タンチョウヅルの子が親離れしてひとり立ちする光景を見ました。
 昨日までと同じようにエサを求めて親ヅルに寄り添ってくる子どもに対し、親は敢然として拒絶します。もうエサはあげない。自分でエサを見つけることを教えるために、冷たく厳しく、近づいてくる子どもをくちばしでつついては、追い返しているのです。
 子どもたちは、親の心がわからずに、いったい何が急変してこうなったのかを受け止めきれずに泣き続けているのでしょう。悲しみの泣き声はいつまでも遠くこだましているようでした。
 けれども、親ヅルはきっと、それ以上に大きな痛みを飲み干し、心を鬼にしてわが子を突き放したのだと思います。
 私たちを思い切って突き放し、痛みをおぼえながらも私たちの成長のために、時に厳しく訓練を施される父なる神の愛を知りましょう。
 

№ 147 自由

「神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい』。」創世記1:16
 
 聖書の神は、あれもダメこれもダメと言う禁欲の神なのでしょう、と創世記を指して言う人がいますが、この誤解を解きましょう。
 まず第一に、アダムとエバは罪が入った毒りんごを食べたわけではありません。その木は、善悪の知識の木でした。第二に、まず禁止事項から始まったのではなく、みことばにあるように、「どの木からでも思いのまま食べてよい」という自由から出発したということです。
 私たちはややもすると、一点のみを誇張するあまり、そもそもの前提を見失いがちです。十円玉を目の前に置いて、大きな太陽を隠してしまうような愚かなことを繰り返してはなりません。神さまは人をまず縛りつけようとされたのではなく、自由を享受する恵みを与えてくださったのです。私たちは、それを神さまから引き離して用いない限りにおいて、根本的に自由なのです。
 

№ 148 大前提

「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」創世記1:17
 
 人間は基本的に限りなく自由な存在として造られました。ただし、神を中心に据えて、その御教えを基準としてそこに従って歩むという大前提があってのことです。
 それではまことの自由とはいえない、と言う人がいるかもしれません。しかし、ここが大切な点なのです。人が人として幸せに生きるための侵すべからざる絶対条件が、実は皆この一点にかかっているのです。
 「善悪の知識の木」は、人間が自由にしてよい領域ではありませんでした。これは神の領域です。善悪の物差しを自分で決め、意のまま欲望のままに生きる人間が真の意味で幸福だといえるでしょうか。何が善で何が悪であるのかは、神が決めることです。
 私たちは創造主なる神の御手の中に出て聞き、受け取り、それを基準として歩むのです。神の御前に出て、神に従って生きてこそ、初めて人間たり得るのです。
 

№ 149 回復のプログラム

「あなたへのしるしは次のとおりである。ことしは、落ち穂から生えたものを食べ、二年目も、またそれから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。」イザヤ37:30
 
 預言者イザヤの時代、アッシリヤ帝国からの脅威の中で、心注ぎだして祈ったヒゼキヤ王に与えられた励ましの預言がこれでした。
 アッシリヤの王は自国に帰り、神のさばきに遭うというのです。そして、国が守られるしるしが、この三年にわたるプログラムなのです。
 一年目は落ち穂から生えたものでしのぎ、二年目も忍耐。三年目になってようやく収穫の時期を迎えるというのです。地震の前には地鳴りがし、出産の前には身ごもりの時があります。アッシリヤに荒らされた国土が回復し、新たな収穫期を迎えるのに、神は三年の期間を用意されました。
 実を見た後で神に栄光を帰すことは、だれにでもできます。しかし信仰者は、実を見る前にこそ、やがて現れる主のみわざの胎動を感じ取りたいものです。
 

№ 150 祝福のプロセス

「ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ。」イザヤ37:31
 
 1991年、箱根駅伝で優勝した山梨学院大学の上田監督は、「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」ということばが好きだそうです。
 創部6年で箱根駅伝に出場し、15位から11位、7位、4位、1位、そしてこの年の優勝へと上り詰めた歩みは驚異的です。その背後に、どれほどの練習と、実として現れない下積みの期間があったことでしょう。
 確かに、やればすぐに成果が現れるというわけではありません。けれども、上に実が結ばない時にも、黙って手をこまねいているのではなく、見えない大地の下で底深く、下へ下へと根を伸ばせというのです。
 根を張らずして実はなりません。実は目に見えますが、根は外からは見えません。ややもすると私たちは、たちどころに成果が現れるものを求めがちです。大地にしっかりと根を張るというプロセスを飛び越えることなく、確かな形で実を結ばせていただきましょう。

№ 151 プラスに転じる

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ 8:28
 
 千代の富士も破れなかった六十九連勝を成し遂げた大横綱双葉山。彼が少年の頃、事故で小指の第一関節から先を失っていたことを知って驚きました。
 「まわしは小指で取る」といわれる相撲界では致命的なハンディです。さらに、右目も吹き矢遊び中に失明。瞬時で勝敗を分ける相撲では、片目だけでは微妙な遠近感がとれず、これも致命的な欠陥だったようです。
 けれども彼は、父親が事業に失敗したことが引き金となって相撲界に入りました。スランプで、やめる決意をした時もありましたが、最愛の母親の死が発奮材料となり、そこからあの歴史に残る六十九連勝の偉業が始まったのですから驚きです。
 しかし、もっと驚くことに、神はすべて神を信じる者に、マイナスがプラスに転じる人生を用意しておられるのです。双葉山のような特別な人物に限らずに、です。
 

№ 152 失敗した後どうするか

「イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか』。」ヨハネ21:17
 
 前で述べたように、双葉山は大事なお母さんの死で発奮し、それまでどうしても勝てなかった対戦相手の横綱に勝って、六十九連勝を成し遂げました。しかも彼は、その後二度と、苦手だったその横綱に負けることはありませんでした。また七十連勝を阻んだ相手にも、一度は負けましたが、その後二度と負けなかったそうです。この辺が彼の偉大なところです。失敗しない人などだれもいません。神を信じる私たちにも、失敗しない人生が求められているのではないのです。
 ペテロは、三度もイエスさまを否みました。あれほど愛情を注いでいただいた主との関係を、公然と否定したのです。・ユダは裏切りの後、自暴自棄の中で自害して果てましたが、ペテロは悔い改めて、主との関係の中で再び立ち直ったのです。彼の素晴らしい点はそこにあります。
 人生は、失敗するかしないかではなく、失敗をした後どうするかで決まるのです。
 

№ 153 ペンテコステ

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」使徒1:8
 
 ユダヤの国に三大祭り(過越の祭り・初穂刈り入れの祭り・仮庵の祭り)があるように、キリスト教会にも三つの大切な記念日があります。イエスさまの誕生をお祝いするクリスマス、復活を記念するイースター、そしてもう一つ、この地上に助け主としておいでになった聖霊なる神さまの降臨を記念するペンテコステです。
 イエスさまの十字架の御苦しみと、復活の栄光とは心に刻んでも、そのイエスさまが必ずや助け主を送ると約束してくださった聖霊の来られた日が、抜け落ちてしまってはなりません。
 十字架を胸に刻み、復活に焦点を合わせるように、私たちは、日常生活でいつも共に歩んでくださる聖霊なる神さまに心の目を向けましょう。聖霊は、過去から現在、未来に至るまで、優しく力強く、私たちを導いてくださいます。

№ 161  死が変わる

「人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。」伝道者3:19
 
 島崎藤村に、死の床で死について問われた田山花袋は、「暗い穴に落ちて行くようだ」と答えたといいます。
 井上靖氏は、「死は大きな不安だ。こんな大きな不安には、僕だって医者だって、とても追いつくことはできないよ」と語り、さらに死の2日前には娘さんに、「本当にどうしたらいいのだろうね」と語ったということです。
 がんで亡くなった清水クーコさんも生前、「眠ってしまうと死んでしまうと思って、朝までベッドに座ってずっと起きていた」ということがあったようです。いずれも、すべての人に確実に、しかも個人的に訪れる死への恐怖を物語っています。
 けれども、キリストを信じ、罪の赦しを得ることによって、死が一転して天の御国への希望の門口へと変わるとは、なんという幸いでしょう。地上での別離の悲しみはあっても、得体の知れない死の暗闇が、永遠の世界を指し示す希望への旅立ちへと変わるのです。
 

№ 162 難しい時代の中で

「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」創世6:9
 
 ここでは、「その時代にあっても」が大切です。ノアの時代は悪が増大し、堕落し、暴虐が満ちていました。そんな時代であるにもかかわらず、彼はしっかりと顔を神の方に向け、ひとり神の心を心として生きようとしていたのです。
 以前新聞に、岩肌に根をからみつけるようにして、上に双葉をつけている植物の写真が載っていました。これがいのちだと言わんばかりに。おそらく写した人も感動したのでしょう。本来ならば、土も見当たらない岩場に種が落ちても生きられないはずなのに、少しばかりの土と水分とを求めて、根を岩肌に絡ませながら、発芽していのちを証ししている姿は感動的でした。
 仏教と神道の堅い土壌に、新興宗教などのいばらが生えると言われるこの岩肌のような日本で、それでもなおキリストの福音が芽生え、いのちを証しするならば、それは大いなる感動ではないでしょうか。
 

№ 163 地の塩として

「あなたがたは、地の塩です。」マタイ5:13
 
 昨年、私たちの街でなかなか評判のパン屋さんが洗礼に導かれました。聖書を読み進むうちに、「地の塩」の教えに目が止まったということです。パンに砂糖は入らなくても、塩の入らないパンはなく、フランスパンなどは、水と粉と塩だけでできているのだそうです。塩だけであれだけの味が出るのだから、大したものだと話しておられました。塩は味の引き出し役というわけです。
 つまり、塩がなくてはパンはできないのですから、パン屋さんにとって塩は、どんなにか大切なものなのでしょう。
 ところでイエスさまは、私たち信仰者を地の塩と呼んでくださいました。この地上で私たちクリスチャンは、いてもいなくても差し支えないような存在に思うことが時としてあります。しかし、イエスさまはそうは見ておられないのです。主が熱い思いを寄せておられるこの大地に、どうしてもなくてはならない存在として、わざわざ置かれているのです。
 

№ 164 与える側に立つ

「受けるよりも与えるほうが幸いである。」使徒20:35
 
 一人の姉妹が天に召されました。集会出席や祈りや聖書を読む生活に熱心な方で、九十歳でした。葬儀の席上、彼女がどんなに家族を愛しておられたかが、ご家族の口を通して証しされました。昔、お孫さんに無農薬で育てた山羊の乳を飲ませるために、早朝よく乳搾りに出かけたりもしておられたようです。
 しかし驚いたのは、そのお孫さんが大学生になった頃の思い出話でした。なんと、七十歳を過ぎてから彼女は、看護婦が不足していたある病院に、看護婦として現役復帰したというのです。ベッドからずり落ちた毛布を一枚でも掛けてあげられるならと。七十歳といえば、看護する側ではなくされる側だと普通は考えます。大学生になった時、お孫さんはおばあさんを病院に訪ねてその姿に接し、感動をおぼえたということです。
 家族と他人の分け隔てなく、与える側に徹して生き抜いた生涯。いつまでも感銘深く人々の心に残ることでしょう。
 

№ 165 みこころの道を

「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」マルコ14:36
 
 アメリカで非常に良い働きをしている牧師が、人生の成功について次のように話されました。
 「それは偉大なことをやったり、有名になることではない。神が自分に用意しておられるみこころの道を歩むことだ」と。
 その牧師は、クリスチャンであった父親にそう教えられて育ったということです。
 時としてクリスチャンである私たちも、財を築いたり、名を残したりすることが成功だと錯覚しがちです。けれども人生の真の成功とは、神が自分に望んでおられる道を淡々と歩むことであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
 神は、自分の人生に何を望んでおられるのか、どこまで来ることを願っておられるのか。心の耳を澄まして知り、そこにしっかりと焦点を当てた人生を歩みたいものです。まわりに左右されたり流されたりすることなく、一歩一歩着実に踏みしめながら。
 

№ 166 行動の源泉

「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」マルコ1:35
 
 四福音書の中で最も短いマルコの福音書の特徴は、随所に出てくる「そしてすぐ」ということばに表れています。つまり、行動するイエスさまの姿です。
 登場から十字架まで、端所に一気に駆け上がるように一つひとつの事件が描写され、次々と展開していきます。
 ところが、よくよく目を留めていくと表面には現れない、行動の背後にあるイエスさまの祈りの生活が見え隠れしています。この前日、主は病のいやしをされ、町中の評判でした。けれどもこの朝、まだ暗い中で一人祈る場所を探し、目まぐるしい一日が始まる前にたっぷり時間をとって、天の父との豊かな交わりの時間をもたれたのでした。
 この日、押し寄せて来た群衆に身を任せず、父なる神の伝道計画にのみ従って、強い意志をもって別の村里へと旅立たれました。福音宣教の第一の使命を果敢に全うし得た理由はここにあるのです。
 

№ 167 祈りは原動力

「イエスは彼らに言われた。『さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。』」マルコ1:38
 
 祈るとどこが違うのか。行動の合間合間に時間をとって、わざわざ場所を聖別して祈られたイエスさまは、翌日の行動が変わりました。普通なら人々の評判に身を任せ、心地よさに浸るものです。しかし、神との交わりを第一にしておられた主は、ただ、天の父のみこころに厳然と従われたのです。
 そもそも何のために、どこから、だれの意志でやってきたのか。私たちも神の御前で、祈りのうちに過去の原点と将来の十字架までのプランや使命を確認しましょう。すると、限られた時間の中で今何をすべきかが自ずと絞られ、見えてきます。
 確かに、今この町にだらだらとどまり、幾日も費やすべきではありませんでした。次の町にも、この尊い福音を携えて行くべき時だったのです。
 祈りこそ、私たちの流されがちな生活を変え、神のみこころの方向へと力強く導いてくれる原動力です。
 

№ 168 最善の備え

「主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。」詩篇 5:3 
 
 ダビデは、この詩が表すように、一日を始める前の備えが、目に見えない祈りにあることを知っていました。
 確かに祈りは、他の何ものにも勝る、来たるべき一日の備えです。一日が始まって、行動や形となって過ぎ去ってしまう前に、まだ見ぬ一日のために、見ずして信じ祈るところから、信仰の世界のみわざは始まっていくのです。
 私たちは、目に見える氷山の海面下に、海上に浮かぶよりはるかに大きな氷の塊が身を沈めていることを知っていますj。火山も、マグマが十分地下に蓄えられた後に地上に噴き出るのです。
 私たちの教会は五十年の歴史をもっていますが、この伝統の力は祈りの蓄積であることを痛感します。多くの信徒たちの祈りが十分に染み渡った後、堰を切ったかのように神のみわざが地上に現れます。祈りこそ、神のみわざを引き出す最大の備えです。
 

№ 169 器づくりにも

「そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。」マルコ2:22
 
 開店間もないレストランに足を運んだ時のことです。行って驚きました。空席が見えているのに、入口でずいぶん待たされました。やっと案内されて着いたかと思うと、隣のテーブルの上は、かなり前に店を出たと目されるお客さんの食べ残した食器が放置されたままです。その後、注文を取りに来るまでどんなに時間がかかり、実際に料理を口にするまで、どれほどの時を要したかは、ご想像に任せます。
 食事はどんなにおいしくても、この手際の悪さではいただけません。もちろん中身は肝心ですが、もてなし方や装いも無視できないのです。
 翻って、私たちの教会はどうでしょうか。すでにイエスさまの素晴らしいいのちを内に宿しているのですから、それにふさわしい器づくりにも心を配りたいものです。イエスさまのみもとに来る人を心から歓迎し、訪れた人に、ここにはいのちがあると実感してほしいのです。 
 

№ 170 皆が立ち上がれ

「彼らはあなたとともに重荷をになうのです。」出エジプト18:22
 
 松下電器の創設者松下幸之助氏は、その前身となる小さな電気会社を始めて間もなく、大恐慌に見舞われました。経営の困難に直面した経理担当者が、やむなく人員削減を提案したところ、社長である彼は断固拒否したといいます。「会社の都合で雇い、都合が悪くなったら首を切るなどということができるか。一人も解雇しない」と。
 そのことばに社員一同大いに感激したそうです。さっそく、仕事を終えると従業員一人ひとりがセールスマンとなり、自発的に自社の製品を売り歩き、ついに、暗くて長い不況のトンネルを乗り切ったのでした。
 会堂建設を前にしたある教会を訪れた時、一人の教会員が、「いつ転勤になるかもしれないが、逃げずに自分のこととして取り組みたい」と話していました。だれかが立ち上がるのでなく、私が、そして皆が立ち上がるのです。困難と思える事態に立ち向かう時、神のみわざは必ずや現れるに違いありません。

№ 171 躍動感にあふれて

「『人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである』ということばは真実です。」Iテモテ3:1
 
 台湾の高雄市に行った時、ここ数年で急成長してきたという教会を訪問しました。
 その教会の牧師は、長年の会社勤めを辞め、人生半ばにさしかかってから献身し、神学校に進んで牧師になりました。そのせいか、とにかく生き生きと労しておられるのです。
 喜んで牧会し、その使命に全力投球している姿が清々しく伝わってきました。ああ、私が携わっている仕事はこんなにもやりがいに満ちた、栄えある務めだったのかと思いました。ややもするとクリスチャンの少ない日本では、小さくなって申し訳なさそうに生きてしまいがちです。
 当日、説教の通訳をしてくださった他教会の人が、「この教会は、教派を越えて台湾全体の中でも注目されています」と言われました。生き生きと躍動に満ちてこの栄えある仕事に携わる時、主はどの国の教会をも祝福してくださるでしょう。
 

№ 172 大きく羽ばたけ

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」ピリピ2:14
 
 先にお話しした、台湾の教会を訪れた時のことです。日曜の夕方、アメリカ人宣教師の送別会が行われました。すると突然、宣教師が台湾の牧師の前でこう告白を始めたのです。「ここの牧師は、いつも大きなことばかり言っていて、実は私は心の中で反発していました。台湾のどの地域でも伝道は困難で、そんなに目覚ましく働きが進展するはずがないのに」。ところが、その教会は見る見るうちに成長し、人が増え、建物もせまくなり、二度三度と大きな会堂に移転したのでした。
 彼はさらに、「アメリカ人宣教師の私が、台湾の牧師から教えられた」「初め、心の中で彼を見下していた私のほうこそ信仰が足りなかった」と涙ながらに告白しました。二人の抱き合う姿は感動的でした。
 信仰の世界に、アメリカ人もアジア人もありません。私たちは、お互いに教えられ合いながら、信仰をもって大きく羽ばたいて行きたいと思います。
 

№ 173 純粋に告白

「それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。『人々はわたしをだれだと言っていますか』。」マルコ8:27
 
 この後イエスさまは、「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と問われ、ペテロの口から、「あなたは、キリストです」との告白を引き出します。
 自然神を祭る偶像の町、国主ピリポや皇帝カイザルの名を戴く権力の象徴の町としても有名なピリポ・カイザリヤでのことです。わざわざ、人々の自分に対する評判を意識させた上で、主は真実なキリスト告白を弟子たちに求められたのでした。
 「人が何と言ってもかまわぬ/どの本に何と書いたあってもかまわぬ/聖書にどう書いてあってさえもかまわぬ/自分はもっと上をつかもう/信仰以外から信仰を解くまい」
 これは二十九歳で亡くなった八木重吉の詩です。明治から大正にかけて、純粋に信仰を貫いた八木重吉。
 私たちも、どんな時も「あなたこそキリストです」と告白したいものです。
 

№ 174 自己を一切空しくして

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」Iコリント1:22, 23
 
 『神を見いだした科学者たち』(いのちのことば社)の中に、長年、東京大学工学部長を務めてこられた菅野猛博士の「科学者としての証し」という文章が収められています。
 博士は、「私の信仰的立場は極めて明瞭で、聖書はすべて神のことばであるという所に基礎を置いている。したがって聖書に書かれていることはすべてそのまま単純に信じるというのが私の基本的態度である」と記され、「だいたい、不完全な小さな人間の頭脳で全能の神のご計画を理解するのが不可能なことは当然のことで、神さまを知るには、自己を一切空しくして、信仰によって霊的に神を知る以外には手段がないのである」と述べておられます。
 確かにだれでも、自己を一切空しくし、身を低くして神の御前に出る時に、初めて信仰は息づき、良い地に蒔かれた種のようにいのちの躍動を始めるのです。
 

№ 175 理屈を超えて

「知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。」Iコリント1:20
 
 ベツレヘムのイエスさまが誕生されたと言われる場所に、聖誕教会が建っています。強盗から守るためとも説明していますが、なぜか入り口は、背の低い日本人でさえ腰を曲げずには入れません。世界中どの国の人も、王様も子どもも入れるけれど、へりくだり、頭を低くしなければだめだとも言われます。
 先に引用した八木重吉の詩に、こんな詩もあります。「何も言い訳する必要もない/議論する必要もない/ただ信じ/ただ信仰を述べたらいい」。彼の詩がいつまでも人々のたましいを打つのは、いよいよ純化され透き通っていく信仰のプロセスを見るからではないでしょうか。
 彼の生涯は短くても、神のみもとへと一気に上り詰めていくかのようです。濁った川は奥深く見えますが、真にいのちを生かすのは、透き通って底が見える清流です。巧みな理屈の世界を脱却して、幼子のような心で信仰の世界を旅しましょう。
 

№ 176 熱い視線

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43:4
 
 日曜日の運動会に行けませんので、代わりに平日、わが家の末の息子が通う保育所に予行練習を見に、夫婦で出かけました。
 道端に立って、フェンス越しにじっと息子の姿を追い続けていると、最初は気づかなかった五歳の彼が、自分一人にじっと注がれる特別な熱い視線をにわかに感じ始めたようです。気恥ずかしいのか、初めはわざと気づかないふりをしていましたが、そのうち、グラウンドを行進する彼の手と足が、ぎこちなく動き始めました。その緊張ぶりに、思わず吹き出してしまいました。
 ところで私たちは、神さまの熱い視線をどれほど感じて生活しているでしょうか。
 神さまは、私たちをその他大勢の一人としてではなく、特別な存在として注目しておられるのです。イエスさまを信じた私たちは、もうすでに世の光、地の塩として特別視され、いとおしまれているとはなんと幸いなことでしょう。
 

№ 177 その場所で

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」箴言3:6
 
 口で筆を持ち、美しい草花を描き、心に染みる詩を綴られる星野富弘さん。彼は、中学の教師をしていた時の事故が原因で、手足の自由を失った生活をしておられますが、その中でこんな詩が心に残りました。「木は自分で/動きまわることができない/神様に与えられたその場所で/精一杯枝を張り/許された高さまで/一生懸命伸びようとしている/そんな木を/私は友達のように思っている」(『風の旅』立風書房)。
 植木の本を眺めていたら、木にとっては人間の都合で無理に他の場所に植え替えられるのは、はなはだ迷惑なのだと書いてありました。木は、種が落ちて置かれた場所で、精一杯根を張って生きようとして、現在の形になったのだと。星野さんは自由に動けない体なので、種が落ちたその場所で精一杯生きようとする木の姿を、身近に感じられるのかもしれません。私たちも、なぜ自分はこんな人生なのだと言わず、置かれたその場所でまず主を認め、主のみわざを体験したいものです。 

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